パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

Category: 福島生協病院の歴史(第1部)   Tags: ---

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歴史に学び 病院の新しい未来を(10)

5.ちいさな総合診療所 (1)

目の色を変えて頑張っても

1955年8月16日、診療を開始します。中本康雄所長、山内慧事務長、林泰代看護師の三人体制です。

開所初日の患者さんは12人。日を追うごとに増え、一ヶ月後には一日60人になりました。午後からは徒歩で往診、しばらくして自転車になりました。不定期の往診依頼も多く、少しでも時間に遅れるときびしく叱られたといいます。夕方になると日雇い健保(日雇い労働者が対象となる健康保険)の患者さんがどっと押し寄せます。午後9時頃ようやく患者さんが切れたかと思うと、飛び込みの急患、酔っぱらい患者が訪れる。そんな毎日で休む暇もありません。医療機械は、顕微鏡と消毒器だけでした。

アジア風邪(※)の大流行した1957年当時の状況を石田寿美恵看護師(のち総師長)が次のように述べています。

「訪れる患者さんは、内科、外科、眼科、婦人科、小児科、耳鼻科と、まったく総合診療所でした。一日、二百数十人の患者は三畳の待合室にあふれ、往診も最高時には60人に達しました。看護師は、カルテだし、料金計算、金の受け渡しに調剤。まだ錠剤は出回っていませんから、天秤で何種類もの散剤を計って一包ずつ薬包紙で包みます。診察室との仕切り壁に空けられた四角い孔(あな)から送られるカルテ処方が重なり、ひっきりなしに督促されます。頬をほてらせ、目の色を変えて頑張っても追いつきません」

 ※アジア風邪…1957年4月に香港から流行が始まり、東南アジアなどを経て全世界で流行したインフルエンザ。日本でも約5700人が死亡した。

100メートル道路福島付近

患者と家族を見つめ、向き合う

中本医師は、診察の合間をぬって往診にでかけます。田阪正利医師も応援に広島大学から駆けつけました。一日60軒も訪問し、毎晩10時までかかります。

訪れると老人が一人きりで寝ています。

「誰も世話をする人がおらず、布団は汚れ、悪臭を放っていました。手、背中、腕、足などあちこちに褥瘡(じょくそう)ができていました。これまで医師が一人でこの老人の床ずれの処置をしていたのだと知り、と胸にせまりました」と石田看護師はいいます。

このような往診を通じて、医師・看護師は、患者と家族の状況を見つめ、これと向き合うようになっていきました。

50年代福島町02



Comments
石田寿美恵さんした 
自己紹介:東京に住んでいる68歳の男の老人です。かいつまんで申し上げますと、NHKアーカイブの戦争証言で日赤の従軍看護婦としての石田寿美恵さんのご経験の話に痛く感銘を受け、石田さんが日本に帰国されてからのご活躍を遠目ながらおりにつけ、見て参りましたが、最近石田さんの同行が良くわからず、何分にもご高齢でもあり、お身体のこと心配しておりました。この度1月4日の東京新聞の面魂の欄に大きく石田さんの記事が掲げられご高齢にもかかわらず、しっかりとインタビューに応じておられる姿は並々ならぬ強い精神が顔に現れていう“面魂”そのものです。これまでNHK、福島生協病院等色々石田さんのことを聞いてみましたか、良くわからずふとしたことでこちらの記事をみて、思わず連絡次第です。
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佐藤さま コメントありがとうございます。具体的にはどのようなお手伝いができますか。

「麦飯花」をお読みになりたいということでしょうか。メールを下さい
 
意味が曖昧なコメントで失礼しました。自分が、思い込みが激しく自分勝手な思い込みも特に、自分の残された先が見えてくると、過去の己の生き様に後悔の念が強く、今となっては、なんとも一人でも多くの若者に石田さんの生き様に少しでも接してもらい、今後の生き方の参考にしていただければと私も微力ながら、新聞記事を通じ、石田さんの話を看護婦さん達に話しています。NHKの石田さんの話で特に感動したのは、自分が一生懸命治療した兵士が、少しでも回復すれば、再び前線に送られ、再び死線を彷徨うことになる、従軍看護婦として自分のしていることは、正しいのかと自問するという、話です。多くの証言者が戦争の悲惨さを、証言することに主として終始している中で、石田さんのお話は、私には自己変革を自ら考え拔き、身を以て実現されてきた大変心強い人生の師です。それに私事ですが、偶々
 
途中で文章が切れてしまったので続けさせていただきますが、私の叔父は、もう亡くなりましたが、石田さん同様先の大戦で中国に軍医として送られ、八路軍に捕らわれ戦後日本に帰国後、東京に看護婦さん1名と東京代々木にバラックの診療所を立て、民医連の医師として一生を全うした姿が石田さんとオーバーラップしました。
 
切れてしまったので、しつこいようですか簡潔に続けます
私は福島生協の歴史的の記事と二見さんの記事をよく読むお願いしたいのは、石田さんの麦飯花が広島に残っているか?残っていれば、お手数ですが、本代は払うが送っていただけるか?
私の考えに賛同していただける方が周りにいらっしゃるようでしたら、おしえていただきたい。取り敢えず以上です。世田谷区在住 佐藤 哲
 
麦飯花の在庫があるか、問い合わせてみます。在庫があればもちろんお送りします。
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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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