パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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Category: 福島生協病院の歴史(第1部)   Tags: ---

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歴史に学び 病院の新しい未来を(9)

4.診療所建設へ (3) 

大衆の要求に応えたい

医師がいなければ診療所を立ち上げることはできません。1955年5月末、海田診療所の法山大麓事務長から中本康雄さんに電話が入ります。

「福島町に診療所をつくる計画が進んでいる。大衆的にも建設してほしいという要求がきわめてつよい。党(共産党のこと)としても大衆の要求に応える必要がある。あなたにぜひ診療所長として赴任してほしい」

中本さんは、九州大学を卒業し、広島大学医学部第二外科に在籍。呉共済病院で研修中でした。赴任の話は晴天の霹靂(へきれき)で、「もっと勉強してから(赴任したい)」という思いだったといいます。

「呉共済病院では手術症例数が多く、私は外科医としてちょうど意欲が出ているときであり困惑しました。一人前の外科医になるには5、6年かかるということで、その基礎をつくるうえで私にとって非常に重要な時期であったのです。技術的に本当に人民大衆に責任のもてる医師になるというのが私の当初の目標でした」
迷っている中本さんの心をとらえたのは法山さんの次の言葉でした。

「住民、人民大衆が医療機関がなくて困っている。大衆の要求に応えねばならぬ」

中本医師
中本康雄さん

中本さんは「住民に責任をもてる医師は、診療所にいても努力すればなることができる。まず、最底辺から出発し、みずから切り開いていかねばならない」と考え、診療所の医師になることを決断しました。

家族や大学の教室は猛反対でしたが、土谷医師と広大第二外科講師だったお兄さんが説得。なによりも中本さんの「大衆の要求に応えたい」という熱い思いが、周囲の人びとを変えました。 

福島診療所と福島医療生協が誕生

診療所は福島町電停の北側にある民間住宅「永田寮」の1、2階の半分を借りることにしました。診療所にするために改修しますが、工事がなかなか進みません。それでも、早く開設すべきという意見があり未完成のまま1955年8月16日、福島診療所はスタートしました。1階は受付、薬局、診療所と当直の看護師が泊まる部屋。2階はみんなで食事をする部屋と中本医師・山内事務長が泊まる部屋です。2階はまだ窓ガラスが入っておらず、壁も塗りかけでした。

診療所開設の一ヶ月後、9月17日に西隣保館(現在のいきいきプラザ)で創立総会が開かれ、福島医療生活協同組合が誕生します。「みんなの診療所をつくろう」と奮闘した世話人とそれを支えた人びとの熱意がここに実を結んだのです。

永田寮
(永田寮)

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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