パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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Category: 福島生協病院の歴史(第1部)   Tags: ---

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歴史に学び 病院の新しい未来を(8)

ビラまき


4.診療所建設へ (2)

あなたの力を貸してくれんさい

診療所を医療生協として設立し、その発起人には町内のあらゆる「長」になってもらう方針を世話人会は決めました。連合町内会長、町内会長、食肉・製靴企業代表、労働組合代表、婦人会世話人、消防分団長、解放団体代表……。いろいろな考えや立場の人がいる町を一つにまとめるには、町の実力者である福原留次さん(福留ハムの創業者)の力が必要だと考えました。オルグの山内さんと世話人の女性たちが設立趣意書をもって福原宅を訪問。趣意書を前に腕組みをしている福原さんに、女性たちは説得を続けました。3時間粘りましたが承諾が得られません。翌日また出向き、言葉数は少ないが熱意を込めて説得します。

「どうしても、この町に診療所をつくりたい。あなたの力を貸してくれんさい」

2時間後に福原さんは「わかった」と筆頭発起人の印を押しました。

こうして、世話人が手分けをして努力し、1955年6月28日、第1回発起人会を開催。福原留次さんをはじめ42人で発起人会を構成し、発起人代表に岡本盛義さん(市議会議員)を選びました。こうして全町一致の体制ができあがり、組合員加入と診療所建設を具体化させることになります。

1950年福島町
1950年頃の福島町

労苦をいとわず日夜奮闘

医療生協認可申請書は、「親切で、多くの人の健康を守るために、みんなの力をあわせて消費生活協同組合法によって、医療生活協同組合を作りたいと存じます」と呼びかけ、世話人や発起人が先頭に立って出資金を集めてゆきます。出資金は300円。当時の物価は、食パン一斤30円、豆腐一丁15円、ビール大瓶111円、ハガキ5円でした。生活が苦しいなか、出資金を毎日10円ずつ出す人が多くいました。

「アカの診療所に手を貸すな、協力できない」というアカ攻撃も受けます。アカ攻撃とは何の根拠なく「アカ=共産党」だからダメだというもの。これに対して、「アカもクロもない。町全体のためにみんなの診療所をつくろう」と女性たちは反論し、診療所の必要性を粘り強く説いて歩きました。

世話人会の人たちは労苦をいとわず日夜働きました。オルグの山内さんは、会議が終わると夜遅くても議事録やビラをつくり翌日に配布。その努力は会議を円滑にし、みんなの熱意がもりあがりました。山内さんは3ヶ月間無給。その間、世話人たちが山内さんの生活を支えたのです。このような努力の甲斐あって、わずか3ヶ月で診療所開設のめどがつきました。







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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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