パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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Category: 福島生協病院の歴史(第1部)   Tags: ---

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歴史に学び 病院の新しい未来を(7)

4.診療所建設へ (1) 

縁の下の力持ちになろう

「福島町に診療所を」という願いは戦前のトラホーム治療運動の頃からありました。青年たちは「この夢をいつかは実現させよう、その日のために軍隊では衛生兵に志願しよう」と申し合わせたといいます。この願いは戦後に引き継がれ、①トラホーム治療の再開、②わかくさ子供会の発足と活動、③太田川改修闘争という三つの運動が大きく前進して行くなかで新たな展開をみせます。

1955年春、山内慧さん(のち専務理事)が福島町に病院をつくるオルグ(運動を組織する人)となりました。山内さんは福留総本店(現、福留ハム)に働く木原清春さん(のち理事長)を訪ね、木原さんから「数日中に関心を持っている人に集まってもらい、そのときに診療所の設立方法など相談したい」と頼まれます。10人ほどが会に集まり、「診療所はどうすればできるのか、医師はどうするのか、組織は…」といったことを議論し、医療生協方式でいこうということになりました。

「福島町の住民の力を結集して診療所をつくる〝縁の下の力持ち〟になろう」という決意をこめて、この会を「福島診療所設立世話人会」と名づけたのです。木原さんが会議の終わりに、診療所の設立は、1.全町に基礎を起き、支持される運動とする、2.自分たちの健康は自分たちで守るための運動である、という二点を中心におくことを提案。そのためには婦人の力が大切であるので、婦人にも世話人になってもらおうということを決めました。

太田川改修闘争02

「野道の草に生きる」

福島町の運動のなかに木原清春さんはいつもいました。木原さんは「自分たちの町だから自分たちできれいにしよう」「あそこのドブが詰まっているから掃除に行こう」と呼びかけ、みずからその先頭に立ちました。「このことが私の心に灯をつけ、多くの人に広がり、いま福島の町はまわりと変わらなくなりました」と中西はるゑさんは言います。

診療所建設の寄付を集めに回ったときのことを助産師の益田小蝝(こえん)さんは次のように回想しています。
「趣旨説明は倦まずたゆまず、じゅんじゅんと進められます。根気のよいうえに誠意が溢れ、説得力があるものですから、みな快く応じてくれました。わたしはつくづく木原さんの人徳だなあと感じ入りました。手柄顔は少しもなさらないのです」

福島診療所建設の世話人の一人として、事実上の推進指導者として活躍し、「報いられることを期待せず、部落住民の幸福を願って献身した木原さん。野の雑草のごとく強靱で謙虚に生きた人」だと、中西義雄さんが追悼文集『野道の草に生きる』に書いています。 

 

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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