パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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Category: 福島生協病院の歴史(第1部)   Tags: ---

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歴史に学び 病院の新しい未来を(6)

3.福島の町を変えてゆく (2) 

福島をきれいで住みよい町に

1937年、太田川放水路を作る計画が始まります。この地に住む人々は安い価格で土地と住まいを奪われ、福島・南三篠町の空き地に移ることになりました。1943年に工事は中断。45年、原爆投下によって焼け出された人びとはバラックを建てて暮らし始めます。引き揚げ者などで町はあふれ、泥沼か低湿地の放水路敷地内にもバラックが建ってゆきました。福島町全体で45%がバラック、21%が共同便所、57%が共同水道というきわめて劣悪な住環境。広島市当局はこの状況になんらの手も打たず、「見苦しい」不良住宅街を放置しました。

1948年、太田川改修工事再開のため、政府は再び立ち退きを迫ります。福島町の人たちは、福島町をきれいな住みよい町にしたいという願いで団結し、たたかいに立ち上がりました。太田川改修工事は、広島市民を水害から守り、平和都市広島をつくるうえでも必要だということを前提にしつつ、移転者への十分な補償と近代的平和都市建設の一翼を担う福島・南三篠町の建設、さらには、この地域を放置し続ける差別行政の撤廃を求めたのです。

おおいに盛り上がる運動

太田川改修闘争が本格化するのは1954年3月6日の住民大会から。立退者130戸が太田川改修立退者生活擁護連盟を結成します。声明や決議、チラシなどがさかんにつくられ、運動はかつてない盛り上がりをみせました。逃げ隠れする当局にしびれをきらした住民たちは3月23日、実力行使に踏み切ります。

太田川回収闘争
貨車の上に荊冠旗がはためいている



「荊冠旗(けいかんき)をおしたてて現場にのりこみ、ごうごうと重たそうに走ってくる土砂運搬車のレールに全員男も女も、おばあさんもおじいさんも、朝鮮人も日本人も、〝わしゃ、先が短いんじゃけ、若いもんはうしろへ行きない。一番さきにすわるけえ〟と叫ぶおばあさんを先頭に、全員坐りこんでストップさせ、ひるすぎには完全に工事を中止させた」(六岡幸路「太田川改修工事と福島町民のたたかい」『部落』53号)

工事は5日間ストップ。しかし、当局は相変わらず話し合いに応じようとしません。解決の基本的な合意ができるまで半年もかかりました。立退者に不安を与えないこと、立退いた後の家と土地を保障すること、工事には地元の人を採用することなどの要求が実現したのです。

権利の自覚と「やればできる」という自信

太田川改修闘争は、地域ぐるみ、家族ぐるみのたたかい、「明るく展望のある闘争」として取り組まれ、自主的で民主的な運動をつくる力が格段に高まりました。「厳しいたたかいであったが、このたたかいを通して一人ひとりが人間としての権利を自覚し、やれば出来るという自信を持つようになった」と藤川春雄さんは述べています。この闘争のなかで部落解放全国委員会広島県福島支部がつくった「要求書」には太田川改修についての要求とともに「総合病院の設置」が掲げられ、診療所建設へとつながってゆくのです。 

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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