パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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Category: 福島生協病院の歴史(第1部)   Tags: ---

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歴史に学び 病院の新しい未来を(4)

2.原爆に苦しめられて(3)

金崎原爆02
【金崎是(かねざきすなお)】1916年、広島市福島町に生まれる。廿日市にあった宇品造船廿日市工場で勤務中に被爆。すぐに福島町の自宅に帰り、妻と子どもを探すため、己斐国民学校へ行き、惨劇を目撃。2007年没。金崎さんは福島診療所建設に尽力された方です。福島生協病院東側に設置されている陶板の碑は金崎さんの絵が焼き付けられています。

顔がぜんぜん分からない

8月6日8時15分、1つになる子を背負って洗濯をしていた。その日、己斐小学校に行っていた小学校2年生のよしきよは、食べるものがないため、栄養失調で学校を休んでいた。B29飛行機見たさに外に出た。すると壁が落ちてその下敷きになり、胸から上をやけどしていた。

夫はこうせい協会に勤めており、その日は夜勤のため、朝帰って寝ていた。夫は気狂いのようになって、「よしきよや、よしきよや、よしきよ……」といって下敷きになった子を探し回った。すると壁の下敷きになったよしきよが、かすかに「うーん」と言った。それを頼りに探し回った。かすかに手の先がみえた。それはよしきよの小さな手だった。引き出してみると顔はずるむけで、全然わからないほどだった。背負っていた子どもが恐れるほどのずるむけようだった。助け出してすぐ防空壕に連れて行った。夫はその時足を悪くし、本当にあのときのおそろしさは口では言えるものじゃない。

4日間苦しんだすえ亡くなったわが子

よしきよは4日間苦しみ続けて死んだ。

2日めごろから血膿が出て、糸切り歯から血が出てその歯が落ちたとき「歯が抜けたん。どうしようか」といってひどく心配する。4日間も苦しんでかわいそうでならん。その血膿はカーバイトのように臭かった。

家に帰って2日目に戸板にのせて医者に連れていった。そのころ足の裏に斑点がでていた。医者では、岡山からの薬を注射してくれた。ほいじゃが苦しさのあまり転げ回り可哀そうでならんかった。えらい子じゃったのに……。ほんま残念なことをした。勉強が好きで親孝行の子じゃった。その子は学校を栄養失調のため、よう休まにゃならんかったけん、学校へ行きたさのために3,4回も家を抜け出したことのある子じゃった。歌が好きな子で、よう「お山の杉の子」を歌っとった。歯が落ちて死んだんじゃが、体が溶けるんじゃろうか、水ばかりを飲んどって水を欲しがった。4日間苦しみ続けたあいだ、「おかあちゃん、水を離さんでね」と言って、かわいそうで腰が抜けるほどだった。ほんまこっちの方がまいるようなかった。

(丸岡ユキさんの手記から一部を抜粋。福島地区被爆者の会『壁』第1集)



 



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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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