パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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貧しさへのまなざし 

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トマ・ピケティの『21世紀の資本』が売れているという。格差の広がりを実証的に明らかにし、格差拡大を累進課税の導入・強化によって制限しようと主張している(らしい。これから読む)。

日本でも格差と貧困をめぐってさまざまな論議がされてきた。以下は2006年に書いたもの。新しいデータを付け加えたのだが、この10年で格差と貧困をめぐる指標はさらに、そして格段に悪化している。(2015年2月7日)

だからこそ、ピケティの『21世紀の資本』が広く読まれているのだろう。さて、とりかかるぞ、と。

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「豊かさ」へのまなざし

いま「格差社会」とか「下流社会」といった言葉が話題になり、本もたくさん出ています。

斎藤貴男『機会不平等』(文春文庫)、佐藤俊樹『不平等社会日本』(中公新書)、林信吾『しのびよるネオ階級社会』(平凡社新書)、橘木俊詔『日本の経済格差』(岩波新書)、山田昌弘『希望格差社会』(筑摩書房)、三浦展(あつし)『下流社会』(光文社新書)……。

 豊かな国、日本。平等で自由な国というイメージがかかつてはありましたが、今は見るかげもありません。日本社会の変化を、その時々で話題になった本を紹介しながら、たどってみたいと思います。

●「豊かさとは何か」

いまから20年ほどまえの1984年。自分の生活程度を「中流」と考える人が9割に達し、「一億総中流」などといわれたことがあります。もちろん、中流と「思っている」からといって中流で「ある」わけではなかったのですが…。ある大学教授が「欧米ではミドル(中流)の住まいとは広大な庭園があって、パーティのできる数十畳の応接室があり、ベッドルームにはそれぞれ専用のバス・トイレがついている。そして地下室があるんだ」と教えてくれました。中流なんてお笑いぐさだということです。

このように当時の中流も幻想に過ぎなかったのですが、今のようなむき出しの格差社会でなかったのは事実です。就職難などはなく、正規の仕事に就くことはそれほど困難なことではありませんでした。日本は経済大国と呼ばれ、1986年GNP(国民総生産)がアメリカを追い抜きました。それなりの「豊かさ」を国民が実感し、「中流」意識を生みだしたのです。

土地や株の投機がはやり、空前のバブル景気。しかしその「豊かさ」がかなり怪しげなものだ、ということも国民は感じ始めていました。バブルの絶頂期であった1989年、暉峻(てるおか)淑子(いつこ)『豊かさとは何か』(岩波新書)が出版され、ベストセラーになります。

豊かさとはゆとり。それを生みだすのは社会保障と自由時間であり、日本は社会保障は貧弱で労働時間が異常に長い。日本の現実はゆとりを犠牲にしたニセの「豊かさ」にすぎないというのが暉峻さんの考え方です。
 株価と土地を売り買いによって膨らませたバブル景気は、まさに泡のごとく破裂し、崩れ去ってゆきました。

●「中流の崩壊」

1995年、日経連が『新時代の「日本的経営」』を発表。終身雇用をやめて非正規雇用を増やし、年功賃金をやめて成果主義賃金にするという方針を決めます。政府は1997年、医療費の本人負担を1割から2割に、消費税を3%から5%へと引き上げました。

そういうなかで1998年に登場したのが、冒頭に紹介した橘木さんの『日本の経済格差』です。この本で「ジニ係数」という言葉が広がりました。ジニ係数は、不平等を測る指標で、0に近ければそれだけ平等であり、不平等であれば1に近づきます。

課税前所得で、0・349(1980年)から0・439(1992年)と「ジニ係数が0・1前後上昇しており、短期間のうちにこれだけ不平等度の高まった国はさほどない」。日本社会は1980年代を通じて不平等が拡大し、「資本主義国の中で最も貧富の差が大きいイメージでとらえられているアメリカの所得分配不平等度よりも、当初所得でみてわが国にジニ係数の方が高い」というのが橘木さんの結論です。

 ※2011年のジニ係数は0.554。0.5~0.6は「慢性的暴動が起こりやすいレベル」。「社会騒乱多発の警戒ライン」は0.4ですでに大幅に上回っている。

この提起に対して、賛否さまざまな論議が巻き起こりました。

その主なものをまとめたのが、『論争・中流崩壊』(中公新書ラクレ・2001年)です。とりわけ興味深いのは格差拡大を否定する人たちの論議。

「かつて日本が平等社会にみえたのは、単に若年層が多かったからというみかけの理由に過ぎなかったともいえる。現在、不平等になりつつあるようにみえるのは、年をとれば所得に格差がつくという日本の元来の不平等が表にでてきているにすぎない」(103ページ)。

「(不平等が広がったようにみえるのは)高齢者世帯が増大したこととと、所得の低い若い単身世帯が増大したためである可能性が高い」(225ページ)。

それぞれのタイトルは「『中流層の崩壊』は根拠乏しい」「中流崩壊は『物語』にすぎない」といさましいものの、高齢者層と若年層に貧困が広がっている事実は否定できないのです。それと格差拡大を否定しようとするために、日本社会はもともとそんなに平等でなかった、と真実を語っている点も面白い。「格差がない」社会から「格差がある」社会に変わったのではありません。格差の見えにくい社会から格差がむき出しになり、広がる社会に変わったのです。

●「下流社会」へ

中流崩壊論争のさなか、2001年に小泉政権が登場し、「構造改革なくして日本の再生なし」というかけ声で、よりいっそうの規制緩和と民営化が推し進められてゆきます。

その結果、ごく一部の富裕層がつくられる一方、圧倒的多数の生活は苦しくなっていったのです。
2005年、家や土地などの不動産を除く金融資産を100万ドル(1億1千万)以上持つ富裕層は141万人で、前年から4・7%も増えました(『ワールド・ウェルス・レポート2006年版』メルリンチ日本証券のホームページから)。また、株式上場企業の34・7%にあたる418社は過去最高の収益をあげています(新光総合研究所まとめ)。

 ※2014年、富裕層は273万人。この10年間で倍増。

 ※2014年度上半期(4~9月)、上場企業約1380社の最終的な利益は14兆3070億円で、過去最高を記録。半分の7兆円はトヨタ自 動車や三菱UFJフィナンシャル・グループなど全体の2%程度にすぎない上位30社で占めている。→東京新聞2014年11月20日 グラフを一番下に貼り付けた。


厚生労働省の「所得再分配調査報告書」(2004年)によると4割の世帯が300万円以下の所得しかありません。年金や医療などなど社会保障給付を加味した再分配所得でも300万円以下は3割を占めています。同じく厚労省が行った「国民生活基礎調査」でも300万円以下が3割、200万円以下が2割近くになっています。

 ※2011年、300万円以下の世帯が52%、再分配後でも36.3%。

『新時代の「日本的経営」』の方針どおり、パートやアルバイト、派遣といった非正規雇用が増やされてゆきました。1995年には20・9%でしたが、2005年には雇用労働者の33%(1669万人)を占めています(総務省「労働力調査」)。その平均的な年収は100万円ほどです。小泉政権が発足した2001年と2005年を比べると非正規雇用は273万人増え、正規雇用は229万人減っているのです。

 ※2014年の非正規雇用者比率は37.9%、1970万人。20年で倍近く増えている。

 貯蓄ゼロの世帯も倍増しました。2000年は12・4%だったものが2005年には23・8%にもなっているのです(金融広報中央委員会「会計の金融資産に関する世論調査」)。

 ※2014年の貯蓄ゼロ世帯は38.9%

生活保護受給者は1995年に60万世帯88万人でした。それが2003年に100万世帯135万人に急増。生活保護受給者が8年で1・5倍になったのです。それでも貧困世帯の2割ほどでしかありません。生活保護を受ける資格のある400万世帯が放置されています。その結果、生活保護が受けられず、餓死・孤独死が相次いで起こっているのです。

 ※2014年 生活保護受給者は160万世帯、216万人

 毎年、自殺が3万人を超すようになって8年。家出はここ5年、毎年10万人です。

 ※2014年、自殺者数2万5000人。唯一下がった指標である。しかし、1998年~2011年、実に11年も3万人を超し続けた。また、家出、行方不明者、変死者は自殺者にカウントされないので実際にはさらに多いことになる。

格差の広がりと貧困の深まりは覆い隠しようもありません。

2005年、三浦展さんの『下流社会』が出版されます。この本がいいのはタイトルだけ。現在の社会の本質をズバリついていると思います。たくさん売れたのもタイトルによるところが大きいでしょう。

しかし、下流とは何か、下流化がなぜ起こっているのかについての説明には驚きます。

「『下流』とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ」(7ページ)。

要するに本人のせいだというのです。大企業による非正規雇用の拡大や、小泉「構造改革」のことについてはまったく問題にされていません。そればかりか「自分らしさ志向は『下』ほど多い」「『個性を尊重した家族』も『下』ほど多い」「自分らしさ派は、未婚、子供なし、非正規雇用が多い」と、自分らしく生きたい、個性を大事にしたいと考えることを「下流」の証として否定するのです。これでは「下流社会」からの脱出の道はみえません。

●格差を封印しようとしているのは誰か?

橘木俊詔編著『封印される不平等』(東洋経済新報社・2004年)は、教育社会学の苅谷剛彦さん、社会学の佐藤俊樹さん、ジャーナリストの斎藤貴男さんと編者である橘木さんによる座談会が収録されていて、格差論争の一定の総括となっています。4人ともそれぞれ専門の立場から格差問題に積極的に発言されてきた人たち。個々の論点には異論もありますが、まじめな良い本です。しかし、三浦さんの本とは反対に、タイトルに本書の最大の弱点があらわれている、と私は思います。

序章で、タイトルに込めた意味を「不平等を見たくない、目をそむけようとしている、さわりたくない、といった意識が国民の底辺にある」と橘木さんは述べています。国民自身が不平等を封印しようとしている、というのです。しかし、国民は見まいとしても、避けようとしても自らの暮らし向きがよくないことに身をもって感じざるをえないのではないでしょうか。だからこそ、さまざまな「格差」本がベストセラーになっているのだと思います。なぜ、どうしてこのような「格差社会」になってしまったのかを知りたいと考えているのではないでしょうか。

今年の初めに「格差社会」は国会でも取りあげられましたが、小泉首相は「格差の拡大はない」とうそぶき、それが通らないとなると「格差がでるのは別に悪いことではない」と開き直りました。経団連の御手洗富士夫会長もまた、就任時の記者会見で「格差はむしろ称賛すべきこと」と述べています。格差を封印しようとしているのは国民ではなく、格差を広げ、国民を「下流」へと追いやった政府であり、財界なのだと思います。

 『希望格差社会』(2004年)を書いた山田昌弘さんは「リスク化の進行は止めることができません。収入が高い職と低い職ができて、差が開いていくことは、もはや止められないのですよ」とインタビューに答えています(『図解 下流時代を生きる』ごまブックス)。

そうではない、と私は思います。いまの格差社会は自然にそうなったのではありません。大企業が利潤追求のためにパート、アルバイト、派遣といった低賃金労働者を増やし、政府がカネ持ちと大企業を優遇する税制をつくり、社会保障を切り捨ててきた結果なのです。

日本はほんとうは豊かな国です。しかしその莫大な富がごくごく少数の企業と個人に吸い寄せられているから「下流社会」になってしまっているにすぎません。ですから、そのカラクリを見ぬく人が増え、悪政を変えれば国民が豊かに生きる社会をつくることができます。
(2006年)


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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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