パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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フォイエルバッハ論(22) 体験的・古典の修行

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●イデオロギーがイデオロギーを生む

このように、国家そのものが実体と違った姿をしているイデオロギーなのですが、このイデオロギーがさらなるイデオロギーを生む。134ページの後から四行目、「国家は…」ではじまる段落です。政治や法律は本質的には経済的事実と繋がっているが、両者は切り離され、自立したものとして取り扱われます。

「国法および私法は、それぞれ独立した歴史的発展をもち、すべての内的矛盾を首尾一貫して除去することによってそれ自身の領域で体系的な叙述が可能であり、またそれが必要とされる領域として、取り扱われるのである」(135ページ)



国法や私法がそれ自身として歴史的に発展する過程ととらえられ、隠された経済的内容はなきものとして扱われます。

さらに、経済的事実から離れたところに、哲学や宗教といったイデオロギーがある。エンゲルスは①国家そのもの、②政治や法律、③哲学や宗教といった3つの層でイデオロギーを説明してます。ふつう私たちは③の領域だけをイデオロギーと呼んででいますがマルクスやエンゲルスの使い方は違うんですね。

ルネサンス時代の思想はヒューマニズムです。人間こそが一番大切なのだということを芸術、科学、思想などで表しました。「市民階級の産物」とありますが、ヒューマニストたちのパトロン(後援者)は誕生間もないブルジョアジーでした。

「新しく覚醒した哲学」とは啓蒙思想をさしています。ルソー、ヴォルテール、ディドロなどなど。「前世紀のイギリス人およびフランス人」とは、『諸国民の富』を書いたアダム・スミスと『経済表』を書いたフランソワ・ケネーのことでしょう。

●宗教の果たす役割

エンゲルスは「わずかながら簡単に」といっていますが、けっこうの紙数をさいて宗教について論じています。いまと違って、キリスト教が支配的な思想の中心をなしていたからです。

なぜ宗教が生まれたのか。エンゲルスは「人間たちが自己自身と周囲の外的自然について抱いた、誤った原初的観念」がその根拠だといいます(136ページ)。人はなぜ死ぬのか、夢はなぜ見るのか、日が昇り沈むのはなぜか、森へ入って帰ってこないのはなぜか、など分からないことに説明をつけるために神とか霊魂といった観念が生み出されたのです。

 「しかし、いかなるイデオロギーも、いったん存在するようになるや、与えられた観念材料と結びついて発展を遂げ、さらに観念材料を完成させていくものである。さもなければそれはイデオロギーではない。すなわちイデオロギーとは、思考を、独立に発展し、ただみずからの固有の法則にしか服することのない、自立的実体のあるものととらえ、それに関わる営みだからである」(同上)



思考を自立的実体とするというのは、存在なしに思考があるということです。第2章で扱った思考と存在の関係。魂はからだがなくても「存在」するでしょう。やる気があればどんな長時間労働だって、休みがなくったってへっちゃら。なぜなら思考が自立的実体だからです。もちろんウソですが、こういうのがイデオロギー。

●居酒屋甲子園で「ポエム」

居酒屋甲子園を知っていますか。NHKのクローズアップ現代で「あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」(2014年1月14日放送)で紹介されていました。

「5000人の聴衆を集めて開かれた、日本一の居酒屋を決める大会です。決勝大会の審査対象は、料理の味や、接客ではなく、居酒屋で働くことの希望や夢をうたい上げる、魂の『ポエム』」でした」(NHKホームページ)

「夢はひとりで見るもんじゃない、皆で見るもんなんだ!」「人は夢を持つから、熱く、熱く、生きられるんだ!」と語っていたのは、長時間労働かつ年収200万円台の男性です。一見前向きですが、存在はどっかへいっちゃってポエムという「思考」が突っ走っている。こういうイデオロギーできつくても頑張っちゃうんだけれども、人間は機械じゃないから、結局からだを壊し、心を病んで辞めざるを得ない。青年労働者を最大限搾取した上で使い捨てる道具が「ポエム」と称される言葉たちなのです。

イデオロギーは、人間を縛るのですがそれは無限ではありません。

「人間の物質的生活諸条件は、その人間の頭脳でこうした思考過程が生じる場合に、この過程の成り行きを最終的に規定する。だが、このことはこの人間に当然どこまでも意識されることはない。というのは、意識されることになれば、イデオロギー全体は終わりだからである」(同上)。



最終的に規定するのは物資的生活諸条件。「どのように考えているか」より「どのような状態で生きている」が決め手になります。何時間働き、休日はどれくらいあって、賃金はいかほどかが肝心です。イデオロギーは、存在(どのようにあるのか)を無視できません。そして、偽りの意識(イデオロギー)が現実と照らし合わされて、「ウソ」だと見抜かれてしまえば、イデオロギーとしての役割は果たせなくなる、とエンゲルスは言っています。

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」 

恐ろしいと思っていたものも、正体を知ると何でもなくなるということです。

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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