パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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フォイエルバッハ論(21) 体験的・古典の修行

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●私法は経済に規定されつつも独自の役割を果たす

エンゲルスは、国家と国法とともに私法も経済的諸関係によって規定されると言います。私法とは、私人間の関係を規律する法(民法と商法がそのほとんど)のこと。商取引を含む財産と身分(家族)を取り扱う法律です。そういう私法の本質は、そのときどきにおいて正常とされる経済的諸関係を追認するものにすぎません。しかし、その追認のしかたはさまざまです。

 「市民的な法規定はおよそ社会の経済的生活諸条件を法的形態において表現するものだとしても、このことは、それぞれ事情に応じて、良くも悪くも生じうるのである」(133ページ)



資本主義社会だからといって、私法のあり方は一様でない。独自のあり方をもち、私法のあり方、私法におけるたたかいが経済にも反映します。これは国家、宗教・思想も同じです。だからマルクス主義の社会分析を「基底還元主義」、すなわち経済的な土台がすべて決めるものだといって批判する人がいますが、この箇所を読んだだけでもそういう理解が誤りだということが分かります。

●国家のイデオロギー的威力

ですから、国家についてエンゲルスは「この機関は、成立するや社会に対して自立化する」(133ページ)と述べているのです。

国家は「人間に対する最初のイデオロギー的威力」だという。イデオロギーは思想という意味もありますが、ここでは「虚偽(意識)」を表しています。事実・真実と違ったかたちをとるということですね。それがイデオロギーのもともとの意味。マルクスとエンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』も「ドイツの思想」ではなく、「ドイツの批判すべき誤った理論」という意味なのです。

まず、国家の見てくれは、その本質と違った嘘偽(うそいつわ)りの姿をしているということです。

国家は、外敵から社会(共同体)を守るための司令部としてつくられます。だから社会のためのものなのです。しかし国家機関ができあがると同時に社会から自立する。共同体の意思・利益から自由になっていくのです。全体の利益ではなく、ある特定の階級のための利益のために働く機関に変質する。社会は支配階級と被支配階級に分裂し、両者の間でたたかいが起こりますが、それは経済的利害をめぐってのたたかいであっても、政治的支配をめぐるたたかいとして展開されます。

「この政治闘争と経済的下部構造の連関に関する意識は、ますますぼやけたあものになり、まったく消失してしまうこともある」(134ページ)



これが国家のもつイデオロギー(虚偽)的性格なのです。経済的下部構造の問題が見えなく、あるいはあいまいにされていく。第7回で「今日では、政治体制が経済的なものに従属しているということはかなりはっきりしています」と書きました。しかし、誰でもすぐ分かるようにはっきりしているかというとそうではない。科学の目で見てはじめてはっきり分かるのです。

私たちは、自民党政治がアメリカと大企業の利益を第一に考え、国民の生活をないがしろにしていることを知っています。しかし、自民党に投票する多くの人たちは「色々あるかもしれないが国民のために頑張っている。頑張ってほしい」と思って投票している。暮らし(経済的下部構造)の問題と政治の繋がりがみえないからです。

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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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