パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

Category: スポンサー広告   Tags: ---

Response: --  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: 戦争と平和   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

子どもたちに伝えたい 人権と歴史(3)

 メイン企画の2つめ。師匠、中村政則先生の講演「いつだったらあの戦争は防げたのか」です。
杉並011

冒頭、この同じ会場で7月13日に田母神俊雄氏が講演したことにふれ、歴史を学ぶことの重要性を強調。

 問題になった「日本は侵略国家だったのか」は「最優秀」に選ばれたが、審査委員長は13日に一緒に講演した渡部昇一氏であり、いわば出来レースのようなもの、と中村さん。

 ある新聞(「社会新報」2008年12月10日)で次のように感想をいいました。
 「無知は無恥に通ずるという言葉を想い出しました。……誰かが〝この論文は0点だ〟と言っていましたが、私は学生にいつも〝書き賃〟として最低5点はあげるので、私なら(100点満点で)5点というところでしょうか」


 会場から笑い声が。
 田母神氏は、WiLL増刊『田母神俊彦 全一巻』のなかの「語り下ろし 自伝」のなかで次のように書いています。
 「たくさんの本を読んできて私が思うのは、渡部昇一氏は大変な方だということです。渡部氏は歴史が専門ではありません。それなのによく勉強されていて、物事を大局的にとらえておられるから、わかりやすいし読みやすい。ですから、好んで渡部氏の本を読みました。左の本を読まず、渡部氏の本を読んできた私の判断は正しかったと思っています」(20ページ)

tamo.jpg

 出来レースだっていっているようなものです。

 さて、中村講演ですが、なぜ田母神論文が5点なのかについて。

 まず、文献の引用がデタラメで恣意的。都合のいいものだけをつないでいる。張作霖爆殺事件を「コミンテルンの仕業と書いているが、まったく根拠がない。
 張作霖爆殺の首謀者が関東軍の河本大佐であることは、関係者の証言からも明らかです。
それを覆そうというのなら、証拠をださなければなりませんが、そんなことはまったく書かれていない。


こういうのを「陰謀史観」というのだと述べ、「いま、歴史観・戦争観が問われている」と中村さん。

「90分欲しいところ45分で話さなければならない。冗談も言えない」とこぼしつつ、レジュメに入りました。

 レジュメの「はじめに」をそのまま載せます。先生もほぼそのまんま読み上げましたから。

 歴史意識とは「われわれは何処から来て、いま何処にいて、これから何処へ向かうかを知ろうとする意識である」。

 2003年6月、小泉内閣のときにテロ特措法が衆議院を通過した。海外に自衛隊を派遣した最初の内閣が小泉内閣である。防衛庁は防衛省に昇格し、自衛隊は海外の裏側にまで行けるようになった。
 
米軍再編問題で米本土にあった米陸軍第一軍団司令部を座間(厚木基地)に置き、そこへ自衛隊の司令部を集結させた。沖縄の基地拡張も進んだ(辺野古)。

グアムへの移転費用も日本政府が出す予定だ(思いやり予算)。つい最近もアフリカ沖での「海賊退治」のため、自衛隊が派遣された。自衛隊法の
〔「改正」による海外派兵〕恒久化が国会で承認され(注)、自衛隊の本来の任務が海外で活動することになった。

 こうした動きを見るにつけ、われわれはいつの間にか、「戦争のできる国」に移行しつつある。

 どうしたらいいのか、「今何処にいて、どこへ向かうかを知る」ためには、かつての15年戦争の歴史を知らなければならない。最近の田母神(元航空幕僚長)発言を読むにつけ、歴史に無知であることがいかに恐ろしいことか思わざるを得ない。また戦争ほど人権を無視し、蹂躙するものはない。


(注)2006年12月15日、防衛庁の「省」昇格関連法が成立。 防衛「省」昇格関連法案の中には、これまで自衛隊法で「付随的任務」とされてきた海外活動(国際緊急援助活動/国連平和維持活動/周辺事態法に基づく後方地域支援)などを「本来任務」に位置づけるという自衛隊法「改正」が含まれています。二見

 そして、いよいよ本日のテーマ「「いつだったらあの戦争は防げたのか」に入りました。
おっともう時間が半分ぐらいまで来ている。話は終わるのか(-_-;)

 歴史には、回帰不能点、Point of No Returnがある。15年戦争のそれはどこなのか。
転換点はいくつかあった。

①大正デモクラシー期  1922年衆議院で軍縮決議
②満州事変(1931年) 15年戦争の始まり
③日独伊三国同盟(1940年)
④日米会談の不成立(近衞・ルーズベルト会談がもたれることはなかった)

この問題を考える際に、
A 歴史における選択の問題、国民の力でだったらいつなら止められたのか、がある。歴史を主体的に考えることである。
B 中国における「回帰不能点」とアメリカに対する「回帰不能点」を分けて考えることが大切。

おっとすみません。時間が来ました。つづきはまた。 



 
Comments

04 2017 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

アクセスカウンター
本を買うなら
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Archive

RSS

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。