パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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フォイエルバッハ論(12) 体験的・古典の修行

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●宗教について

第二に、宗教そのものについてです。フォイエルバッハは、歴史を「宗教上の変化によってのみ区別される」と言います。宗教が歴史に影響を与えたのは事実でしょうが、それを唯一の要因とするのは無理があります。エンゲルスはそのことを歴史的事実をあげて例証していますが、歴史学が進んだ今日、フォイエルバッハの見解をまともに受けとる人はいないでしょう。

愛の哲学(=宗教)を称揚するフォイエルバッハ。これに対して、エンゲルスは「他の人びととの交わりにおいて純粋に人間的な感情をもてるのか」(98ページ)と問題提起し、「この社会によってすでに十分損なわれている」と回答します。

これは今なお変わりません。長時間労働、低賃金、ワーキングプア……。あまりに出会うチャンスがないため「婚活(結婚するために活動すること)」なんて言葉までできてしまう実態です。現実にないものを宗教に祭り上げる必要はありません。「愛の力」という言葉でひどい生活を変えることはできないからです。

フォイエルバッハの説く宗教は、現実的な人間ではなく、抽象的な人間に基づいているのです。「現実的人間」とは、あなたやあなたのまわりにいる人たちのことです。

メシを食えば、糞もする、働き、眠る、性愛もとりおこなう人びと。「抽象的な人間」とは、フィルターを通してみた実体のない、フォイエルバッハ流の人間です。「性的な交わり以上の人と人との交わりを語る段になると徹頭徹尾抽象的になってしまう」(99ページ)といって、エンゲルスはからかいます。

愛の次に取り上げられるのは、「道徳」です。フォイエルバッハの説く「道徳」はヘーゲルのそれよりはるかに貧しい中身しかないと手厳しい批判を加えます。

ヘーゲルは『法の哲学』(邦訳は「世界の名著」中央公論社、など)において自らの「倫理学」を展開します。ふつう「道徳」と「倫理」は同じ意味です。しかし、ヘーゲルは「道徳と倫理は通常、ほぼ同じくらいの意味のものとされているが、本書では本質的に相違した意味に解している」(『法の哲学』226ページ)。

『法の哲学』が、なぜヘーゲルの倫理学なのかというと、「善」が、法ないし権利(Recht)、道徳、倫理(人倫)を経て家族、市民社会、国家へといたる道筋を扱っているからです。それゆえ、ヘーゲルはこの著作を『倫理学』ないし『道徳学』とはせず、『法の哲学』と名づけ、それぞれのあるべき姿と発展の道筋を明らかにしようとしたのです。

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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