パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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フォイエルバッハ論(11) 体験的・古典の修行

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三.フォイエルバッハの宗教哲学と倫理学

●観念論者 フォイエルバッハ

マルクスやエンゲルスは、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』(邦訳は岩波文庫)の影響をうけて、唯物論者になっていきました。しかし、「二」でみてきたように、フォイエルバッハ自身はみずからの哲学を「唯物論」と名乗ることをためらったのです。シュタルケは、「フォイエルバッハの観念論を不当な場所にもとめ」(87ページ、傍点は引用者)、唯物論と観念論の区別を混乱させました。エンゲルスはこの「混乱」を解き明かし、唯物論を擁護したのです(前回を参照)。

「唯物論」の立場にたどり着いたフォイエルバッハが、「宗教哲学と倫理学のところまでくると、(彼の観念論の正当な場所が)ただちに顕わになる」(93ページ)とエンゲルスは述べ、その弱点を突きます。

まず、フォイエルバッハは「哲学そのものは宗教に帰着する」と考えている。これが彼の「宗教哲学」です。ヘーゲルを批判し、唯物論の立場にたどりついたフォイエルバッハは見るかげもありません。フォイエルバッハの宗教が具現化されている
倫理学をエンゲルスは、つぎつぎ打ち砕いていきます。

●性愛について

第一に性愛についてです。フォイエルバッハは性愛をわざわざ宗教に祭り上げます。これに対してエンゲルスは「人間相互の関係、性愛、友情、共感、献身等々」は、「それ自身について存在するもの」として認めればいいではないか、といいます。別に宗教などなくても、人間は日々、これらの行為を行ってきたのですから。

宗教(religoion)は、結合(religare)に由来する。だから、結合は、宗教なのだ。もうダジャレの世界なんですね。「言語学的手品が、観念論的哲学の最後の逃げ場」(95ページ)となるとエンゲルスは鋭く批判します。現実の結びつきを明らかにするのではなく、ダジャレに逃げ込む。これがフォイエルバッハの「性愛の哲学」なのです。


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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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