パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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フォイエルバッハ論(7) 体験的・古典の修行

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二.哲学の根本問題

前回の最後に、「ヘーゲルを真に批判的に乗り越えたのは誰か?その中身は?」と書きましたが、その答えはすぐには書かれていません。「二」では、意外な方向に展開します。

●「意外」な問題提起へ

 

「あらゆる哲学の、特に現代哲学の、大きな根本問題は、思考と存在の関係を問うことである」(70ページ、訳文は変えてある)



多くの人が面食らう問題提起です。

「思考と存在?」「大きな根本問題??」。考えても見なかったことが出てきます。「根本問題は人生をいかにいきるべきか」なら、まだ分かりそうですね。しかし、「哲学の根本問題は思考と存在」の関係だというのです。

「思考」は、「考える」こと、「存在」は「ある」ことです。私たちのまわりにはさまざまな問題があります。原発、米軍基地、暮らし……。こういうことをつきつめて考えていくと「思考と存在」の問題にぶち当たる、ということなのです。下世話な言い方でですが、「腹が減るのはメシについての思考が足りないわけではなく、メシを喰っていないからだ」ということです。「原発は安心だ」と「考える」ことよりも、放射能被害が「ある」のか「ない」のかが大切だ、ということでもあります。

エンゲルスの生きた時代はキリスト教が絶大な力をもち、信教の自由もなければ、科学の発展も今日からみればまだ遅れたものでした。「一」でみたように、シュトラウスやバウアーなどのように、キリスト教の範囲内で「実体」とか「自己意識」などの論争をする程度だったのです。
 
●観念論と唯物論

「根源的なものは何か、精神か、それとも物質か」「この問題は先鋭化して、教会に対しては、神が世界を創造したのか、それとも世界は永遠の昔から存在しているのか」という問いが提起されます(72頁)。

そして、この問題をめぐって哲学者は2つの陣営に分かれます。簡単に整理するとつぎのようになります。
 
 自然(物質)に対して精神(神もその一つ)の根源性を主張 …観念論
 精神に対して物質(自然)の根源性を主張…唯物論

 根源性とは「どちらが先にあったのか」という問題です。エンゲルスはこの点について、次のような注意を与えます。

 「観念論と唯物論という2つの表現は、元来、これ以外の意味をもたず、本書でもこれ以外の意味には使われない。それに何かしら異なる意味を持ち込むとどれほどの混乱が生じるかは、下記においてみることにする」(73ページ)



 「下記」と書いてありますが、それが書かれているのは8ページ以降で、すぐには出てきませんので要注意。


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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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