パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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フォイエルバッハ論(2) 体験的・古典の修行

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                                ページ数は大月ビギナーズ版

●ドイツにおける哲学革命

 話は19世紀のドイツにおける哲学革命から始まり、フランスとの対比のなかで語られます。

「フランス人は、公認の学問全体と、教会と、しばしば国家とも、公然たる闘争を展開した」(49ページ)。



それに比して、ドイツの「哲学革命」は「ある意味ではプロイセン王国公認の国定哲学の地位までものぼり詰めた」。いわゆる「御用学者」です。

 「彼らの衒学(げんがく)的かつ意味不明な言葉の背後に、重苦しく退屈な文章のうちに、果たして革命が潜んでいるとでも言うのだろうか」(50ページ)。


答はイエスです。 さあ、さっそく弁証法的な見方が登場しますよ。

「現実的なものすべて理性的であり、理性的なものはすべて現実的である」(51ページ)。


ただしヘーゲルの原文はちょっと違う。そのことも同じページに出ていますね。

この文をどう読み解くかに弁証法的な見方ができるかどうかがかかっている。

 一見、「現実的なものすべて理性的」だというのなら「現存すものを一切神聖化し、専制政治、警察国家、専断政治、検閲を哲学的に祝福するものではないか」と読める。今日の日本でいえば、在日米軍基地とか原子力発電所を擁護する「とんでも」哲学という外見をもっているのです。

 しかし、

「ヘーゲルの場合、現存するものの一切がともかくそのまま現実的であるというのではけっしてない。現実性という属性は、ヘーゲルにあっては、ただ、同時に必然的であるものだけに具わるのである」(51ページ)



 あるもの(こと)が現実なのは、それなりの理由がある。その理由が「必然性」を持たない場合は、変わらざるをえない。古い現実は新しい現実にとって変わるという変革の哲学が「重苦しく退屈な文章」のなかに潜んでいたのです。

「かつては現実的であったものの一切が発展の過程で非現実的になり、その必然性、その存在する権利、その理性性を失うのであり、亡びゆく現実的なものに代わっては、生命力ある新しい現実があらわれる」(53ページ)


「現実的なものすべてが理性的であるという命題」の裏側には「現存する一切のものは没落に値する」という命題がぴったり貼りついていたのです。

ヘーゲル哲学というか弁証法という考え方は一筋縄ではいかない。つねに物事を二重にとらえていくのです。それは「現実」そのものがそういう性格を持っているのですが…。歴史の実際もそうですが、否定的なものを乗り越え、発展してきましたし、今後もまたそうです。

歴史にゴールはない。

「完全な社会、完全な『国家』など、ただ幻想の中でのみ存在しうるものにすぎない」(54ページ)



これは「空想的社会主義」に対する批判でもあります。
 
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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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