パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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空想から科学へ(7) 体験的・古典の修行

●素朴な「弁証法」的見方

エンゲルスは、弁証法と形而上学という「二つの思考方法」について説明していますが、この叙述のしかたそのものが弁証法的です。えっ、まだ弁証法について何も説明していないのに「弁証法的」とは何ごとかって? 

失礼しました。そうでしたね。なかなか一言では言えないのですが、さしあたり「乗り越える」ものの見方だと言っておきましょう。

人類の思考方法がいかに限界を乗り越えて発展してきたのか。その大まかな歴史をエンゲルスは述べています。

まず、素朴な弁証法的見方です。

人類は文明を持ち始めた初期の段階で、ざっくりとしたかたちではあっても「すべてのものが運動し、変化し、生成し、消滅する」ことを理解していました。エンゲルスはヘラクレイトスの「万物は流転(るてん)する」(ビギナー版では「流動」になっていますが意味は同じ)を「古代ギリシア哲学の世界観」の代表としてあげています。

平家物語の「諸行無常」も同じ。いっさいのものは変転して同じではない。「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」という方丈記の冒頭もそうです。

しかし、素朴な弁証法的「見方は、諸現象の全体の姿の一般的な性格を正しくとらえているとはいうものの、この全体の姿を構成している個々の事物を説明するには不十分」(63ページ)だったのです。

●個別科学の発展と「形而上学」

この限界を乗り越えるために必要なのは、個別科学の発展でした。

「自然をその個々の部分に分解すること、さまざまな自然過程や自然現象を一定の分類に分けること、生物体の内部をそのさまざまな解剖学的形態について研究すること、これが最近400年間に自然を認識するうえでなされた巨大な進歩の根本条件だった」(64ページ)



分かることは「分ける」ことであり、分類し整理すること。そうやって自然科学は発展してきたのですが、その発展は同時に否定的な側面を伴っていたのです。

「自然物や自然過程を個々ばらばらにして、大きな全体的連関の外でとらえるという習慣」を人々の間に生みだしました(「連関」(れんかん)とは「つながり」の難しい言い方です)。それが「形而上学」的なものの見方なのです。

形而上学的な見方は「運動しているものとしてではなく静止しているものとして、本質的に変化するものとしてではなく固定不変のものとして、生きているものとしてではなく死んだものとしてとらえる」のです。生きているものを殺して、ピンで固定するから標本になる。そうでなければ、物事の性質をとらえることができない。

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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