パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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憲法はアメリカが押しつけたの?      (憲法Q&A 4)

Q4.そもそも現行憲法は、アメリカをはじめ戦勝国の連合によるGHQが日本に押しつけたものではないでしょうか?


●押しつけ憲法?

「押しつけられた」というと誰もがいい感じがしませんね。それは「押しつけ」という言葉に否定的な意味あいが込められているからでしょう。私たちは、男女平等を押しつけられたのでしょうか?言論の自由なんか欲しくもなかったのに押しつけられたんでしょうか?健康で文化的な暮らしは?教育を受ける権利は?……なんかおかしい。

●落第だった自主草案

 さて、ではどのような過程を通じて日本国憲法はできたのか。

 日本国憲法の原案が、GHQによって作成されたことは事実です。なぜ、GHQが憲法草案をつくることになったのでしょうか?

 ポツダム宣言を日本が受諾し、第二次世界大戦は終結。ポツダム宣言には「民主主義的傾向の復活強化」「言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重」とあります。これらを現実のものとするためには、大日本帝国憲法の改正が必要でした。

 幣原(しではら)内閣は、非公式でしたが「憲法問題調査委員会」を設置し、秘密裏に「改正案」づくりに着手しました。そこで二つの案が作られましたが、両方とも明治憲法を部分的に手直しした程度のもの。この案が1946年2月1日、毎日新聞によってスクープされ、「保守的、現状維持的なものにすぎない」と報じられました。この毎日の記事をみたGHQはその内容があまりにひどいのに驚き、「日本政府に対して指針を示す」方針に切替えました。

●自由民権運動の伝統を踏まえて 

 このような経過をへて、GHQは憲法草案づくりに着手し、わずか1週間で作り上げました。奇跡のような出来事です。それを可能にしたのは、草案作成メンバーの新しい理想の国づくりへの情熱、憲法改正の方針がしっかりしていたこと、諸外国の憲法を参照していいものを取り入れていったこと、などによるでしょう。

 さらに、日本側の各種草案、とくに鈴木安蔵らの憲法研究会案が検討され、その内容が生かされていることです。

 自由民権運動のなかで日本人が考えた憲法の内容が憲法研究会案とGHQ草案をへて日本国憲法へ受け継がれています。教科書裁判をたたかった歴史学者の家永三郎さんは次のように言います。

「日本国憲法は、その内容において、明治10年代の日本国民が実現しようとして果たさなかった民主主義と平和主義とに立脚する民主憲法の制定を、敗戦という高価な犠牲をはらい、連合国の要求という迂路(うろ)によってではあるが、60余年ののちにようやく実現したものと見ることができるのではなかろうか」(『歴史のなかの憲法』東大出版会)。

 日本国憲法は、明治以来の民衆の願いである平和と民主主義を回り道しながら手にしたものなのです。

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(歴史学者、家永三郎さん 1913ー2002)

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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