パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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2013年長崎平和宣言を読む(9)

●戦争体験、被爆体験を語りつぐ 


宣言は、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことの重要性を次のように述べています。

かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

なぜ、修学旅行の地として、広島や長崎、沖縄が選ばれるのでしょうか。その意味は「死者と連帯することにある」と教育学者の竹内常一さんが次のように述べています。

「生きる」ということは、「死者」の願いや恨みを引き受け、死者と連帯して生きるということではないか。広島や長崎や沖縄に修学旅行をおこなうのは、この「死者」たちの願いや恨みを引き受け、「死者」と連帯するためではないのか。それなしには私たちの歴史というものがはじまらないからではないか。(竹内常一『子どもの自分くずし、その後』太郎次郎社)

竹内さんは「『死者』と交流し、『死者』と連帯することのない『生者』とは、生きている『死体』ではないだろうか」といい、私たちが人間らしく生きるためには、「死者との連帯」が不可欠だと提起しています。

 この点について、上原専禄さんの『死者・生者』を参照するように書いてありました。上原さんは、「死者」と「生者」との共存・共生・共闘するという考えは、現実を認識するための方法であるとともに現実を救済する原理でもあるといいます。

 

アウシュビッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち、その前に日本人が東京で虐殺した朝鮮人、南京で虐殺した中国人、またアメリカ人が東京大空襲で、広島・長崎で虐殺した日本人、それらはことごとく審判者の席についているのではないのか。そのような死者たちとの、幾層にもいりくんだ構造における共闘なしには、執拗で頑強なこの世の政治悪・社会悪の超克(ちょうこく)はたぶん不可能であるだろう。(上原専禄『死者・生者』未来社)


死んだ人の声を聞くことは、実際にはできません。しかし、その手がかりはあります。『原爆の子』の編者・長田(おさだ)新(あらた)氏は「序」で次のように言います。

 

永久に生きてかえることのない人々がその最後の訴えを、この生き残った人たちの口を通じて叫んでいるのではないか。生き残った人たちは、今はもう語ることのできない人々に代わって、またその人々と共に、訴えているのではないか。(『原爆の子』上、岩波文庫)

 生き残った被爆者の証言、手記、遺跡や碑、そして、文化・芸術となったヒロシマ、ナガサキから、私たちは「死者の声」を聴きとる必要がある。虚心に死者の声を探し出そうとすること。そして、私たちがそういう作業を通じてどれだけ多くの死者と連帯できるかが、生者を死者へと追いやった原因を取りのぞき、いまを生きる世界の人びとと連帯できるかどうかを決めるのです。

宣言は、とりわけ若い世代に呼びかけています。

 

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

あなたたちこそが未来、そう未来なのです。

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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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