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知的障害者の能力発達を導き出したセガン

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川口幸宏著『知的障害(イディオ)教育の開拓者セガン 孤立から社会化への探究』を読む。

●知的障害者と発達 

今日では「知的障害」をもつ人(子ども)が教育(療育)を受けることは当たり前になっています。それは知的障害があっても人間は発達するからです。「どの子も伸びる」し、それを促すのが教育の役割であり、できないことができるようになること、知らないことを理解することは「みんなの願い」だからです。

 こういう考えにたたないのが石原慎太郎さんです。彼が都知事時代(1999年)に府中療育センターを視察にいったとき次のように述べました。「ああいう人ってのは人格あるのかね」「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、 人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって…。 しかし、こういうことやっているのは日本だけでしょうな」と無知をさらけ出しています。

 フランス語のイディオ(idiots)とは「知的障害者」のことで「長い人類の歴史の中で、社会参加が非常に困難であるとみなされ、そのように扱われてきた」人びとであり、「彼らの多くの人たちが、終生にわたる監禁・拘禁、あるいは遺棄、さらには殺害されてきた歴史を持つ」。しかし、19世紀になるとその歴史は大きな転換点を迎えます。石原さんは19世紀初頭の古い頭のようです。

●知的障害教育の開拓者セガン

 本書、『知的障害(イディオ)教育の開拓者セガン 孤立から社会化への探究』は、知的障害教育を切り開き、障害をもつ人びとが「孤立から社会化へ」と転換するうえ重要な役割を果たしたセガンの実像に迫ろうとする著作です。 著者は、いままでの「セガンに関する記述に大きな違和感を覚え」(あとがき)「イディオ教育の実践過程に込めたセガンの主体性についての理解がほとんどなされてきていなかった」(はじめに)状況に対して「公文書類の発掘によって、セガンの生育環境、生育史、そして社会的活動という実像を描くことに努め」、「セガンの実像を描くことができた」といいます。


●セガンは『エミール』のように育てられたのか

 第一章「寓話化された育ちの環境」は従来の「セガンが過ごした幼少期」についての記述を批判し訂正しています。「寓話化された」というのは、ルソーの『エミール』に感化された両親の下で幸せな幼少期を送った、ということ。セガンはブルジョアジーの家庭に生まれ、乳児期は乳母に育てられ、幼年期は里子に出されて育ち、少年期にはいると家庭教師から古典の基礎を学び、その後、地域の名門伝統コレージュで学ぶといった典型的なブルジョア家庭の育ち方をしたのだと著者はいいます。


●社会変革にめざめるセガン

 第二章では、そういう育ち方をしたセガンが「社会の変革を求めて」どう変化していくのかが明かされていきます。1826年頃から続く不況は、貧困、暴力、恐怖に溢れさせ、ついに1830年、七月革命が起きます。18歳のセガンもそこに参加していました。

 「七月革命はセガンらの願い通りの社会の方向に向かって進む契機となりえたか。否であった」「思想・運動の弾圧の嵐が吹き荒れた。セガンもまた数度にわたって検挙されている。革命にたちあがった経験、そして自由と民主主義の貫徹を求めたがために弾圧された経験は、やがて新しい革命への期待を膨らませることになる」(84頁)。

 そして、セガンは、1831年にサン・シモン主義者となります。
 「あらゆる社会制度は、もっとも多数のおよびもっとも貧困な階級の精神的、知的および身体的境遇の向上を目的としなければならない。/それぞれの能力に応じて、それぞれの労働の能力に応じて」ということがサン・シモン主義の根本原理でした(エンゲルスも『空想から科学へ』でこの文をサン・シモンが特に強調したこととして挙げています)。

 サンシモン主義者、セガンは「労働者の権利クラブ」を結成し、組織化にも取り組みます。セガンも署名している「同志に訴える」には、「1789年は人間の権利を宣言した。1848年は労働者の権利を宣言しようとしている」と述べ「我らのあらゆる行動の普遍の目的、それは、身体的精神的に苦しむすべての人の境遇の向上であるに他ならない」(122頁)とあります。当時、社会主義思想と労働組合運動は敵対するものと考えられていた時期に、その両方の運動を経験し担ったセガン。これがのちのイディオに対する教育の土台となりました。著者は、「イディオの教育を独力で開拓するということによって鍛えられた彼の思想性は、すべての人びとの平等性を基盤とした社会的弱者の地位向上にあるのであった」(124頁)といいます。

●セガンが切り開いた知的障害教育


第三章「イディオの社会化のために」は、それまで教育不能(石原さんと同じ考え)とされてきた知的障害者が教育が可能である、という立場にたった道程を明らかにしています。セガンはイタール(『アヴェロンの野生児』で有名)と精神科医エスキロルの指導を受けながら、イディオに対する教育実践を深めていきました。しかし、エスキロルは、「イディオが年齢に応じた教育を受けたとしても、知識を得るまでに発達することは不可能」で「生涯にわたって、イディオはその状態を変えることができない」(136-7頁)という考え方の持ち主でした。

セガンはそういうエスキロルのところに子どもたちをともなって毎週通っていたといいます。これは私の勝手な想像ですが、おそらく、セガンは自分の実践とそこから得た知見を率直にぶつけ、エスキロルから何かを引きだしたのではないでしょうか。何も得ることがなければ毎週は通わないはずです。自説を真っ向から否定する立場に立つセガンを受け入れたエスキロルもたいしたものです。

 「(セガンは)イディオはそれぞれの能力がきわめて虚弱であるが故に個別能力の発達は困難だが、それぞれの能力の三位一体を図ることによって、イディオは能力発達を遂げることができる」(155頁)という見地にたどりつきました。さらにセガンは、活動、知性、意志の順に教育されなければならない、といいます。著者は「それはセガンの実践の事実」(156頁)だというのです。身体的訓練こそ発達のカギを握るとセガンは考えました。さらにセガンは「子どもたちの発達は子どもたち同士が教えあうことにある」ということにも気づきます。

 こうして、セガンは知的障害者の発達可能性を現実のものとし、「世界のイディオたちの現在と未来とに大きな灯りを灯し、イディオたちの社会化を支え続け」ました(205頁)。そして、1898年、大須賀亮一(のち石井亮一)が、セガン教育論と教具を持ちかえり、日本最初の知的障害児・者施設、滝乃川学園を創設します。筆者は「おわりに」の最後にセガンの言葉を掲げています。

 「われわれが異常、無能、愚鈍、イディオと理解している子どもたちに、普通の習慣、つまりそれが手仕事であれ知的な仕事であれ、仕事の能力を与えることである」(207頁)
 このセガンの到達した見地は、今日の日本で、障害児教育と作業所づくり、その運営に引きつがれています。


川口幸宏著『知的障害(イディオ)教育の開拓者セガン 孤立から社会化への探究』(2010年、新日本出版社)
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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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