パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

Category: スポンサー広告   Tags: ---

Response: --  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: 脱原発   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

松井隆志さんの【ロング書評】反「反原発」論!?─「リアリティ」の内実について、を読んで

開沼博著『「フクシマ」論─原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)について、ピープルズプラン研究所のHPに掲載された松井隆志さんの【ロング書評】反「反原発」論!?─「リアリティ」の内実について、を国公労連の井上伸さんが昨日(3月13日)フェイスブックで紹介していて、書評を興味深く読みました。

 もともとの開沼著を読まず、書評を通じて何かを述べるのはいかがなものかと思いましたが、感想を2つ。
 
 ひとつは、ロング書評のサブタイトルにもあるように『「フクシマ」論』にはリアリティ(現実性)が欠如ないし弱いのではないか、ということです。

 少なくても、鎌田慧さんが足で歩いて書いた『原発列島』(集英社新書、2001年)を読んでいれば、ことはそう単純ではないことが分かります。

 自民党政治がつくり出した過疎の自治体に電力会社は膨大なカネをばらまき、施設をつくる。しかし、「巨大施設をつくってもらった自治体は、自己負担の起債分と施設の維持費で、財政パンクの危機に瀕する(鎌田著、197ページ)。また、反対運動をカネや接待で切り崩していったのです。
 
 「金の力で建設されてきたので、『金権力発電所』というのが、わたしの原子力発電所にたいする批判だが、これまでどれほどの策謀と裏切りをつくりだしてきたことか」(同)。 

もう一つは、責任の問い方、その軽重の問題です。

 松井さんは言います。

 「最も責任が重い者たちに向かってその責任追及を完遂することは、自分の責任を他人になすりつけることと同じではない。むしろ、二度と同じ過ちを繰り返さないため、あるいは自分の誤りを明確にするためにこそ、『犠牲のシステム』の切開とその責任追及を目指すのだ」

この文章を読んで、岩波現代文庫版の家永三郎著『戦争責任』に澤地久枝さんが書いた「解説 これからの課題」の、下記の部分をを思い出した。

 「この本では、敗戦時満14歳で植民地『満州』にいたわたしの『戦争責任』も免責されてはいない。私の戦後の原点は、己れが戦争中に身をおきかつ果たした役割の痛切な自覚にあるといえるかも知れない。しかし、『戦争責任』が女子供をふくめて広く広く問われているのに反して、昭和天皇の戦争責任についてはあまり力点がおかれていないと感じる。そのため、戦争責任の所在は求心的であるよりまとまりにくいものになっていないだろうか」(457ページ)

 開沼著も同じなのではないだろうか。
Comments

06 2017 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

アクセスカウンター
本を買うなら
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Archive

RSS

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。