パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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追悼 佐伯正一先生


ボクの親友は教師が大嫌いで「先生というのは最低の人間」だとまでいう。

 しかし、ボクは中学校か高校の教員になって生徒会の顧問になるのが夢であった。先生になりたかった。
 
 彼とボクの違いは素敵な教員に出会えたかどうか、なのだろう。
 中学、高校、大学、そして大学院と「この人のようになりたい」と思う先生にたくさん出会うことができた。そのことを幸せに思っている。

●佐伯先生との出会い

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(33年前、1978年の佐伯正一先生。レーニンに似ていた)

 そんな師匠の一人、伊勢原中学校のときの生徒会顧問だった佐伯正一先生が3月4日、亡くなった。まだ60代半ばである。原因は中皮腫(ちゅうひしゅ)。アスベスト(石綿)被害である。教員のアスベスト被害はめずらしいと思う。

 厚生労働省のホームページには中皮腫について「肺を取り囲む胸膜、肝臓や胃などの臓器を囲む腹膜、心臓及び大血管の起始部を覆う心膜等にできる悪性の腫瘍です。若い時期にアスベストを吸い込んだ方のほうが悪性中皮腫になりやすいことが知られています。潜伏期間は20~50年といわれています」とある。

 佐伯先生は父親を早くに亡くし、高校を卒業して横浜の日本海事検定協会で18歳から10年働いた。当時まだ日本では禁止されていなかったアスベスト。それがもうもうと立ちこめる倉庫のなかで仕事をしていたのだ。
 教員時代はいたって健康であった佐伯先生。約30年の潜伏期間をへて発症したのである。

先生は仕事をしながら國學院大學の二部に通って教員になり、伊勢原中学校に赴任した。ボクが入学するちょっと前、わが母校は荒れ(といってもその後の「荒れ」にくらべればそれはかわいいものだったのだが…)、集団万引きなどが起こり、「田舎の中学でなぜ?」というような記事が週刊誌(新潮か文春)に載ったりしたこともあった。

●生徒会改革のリーダーとして

 この事態に対して、わが伊勢原中学校の教師集団は、生徒の自主的な活動を伸ばすことによって子どもたちの荒れを克服しようとしたのだ。生徒会改革が始まり、生徒手帳に載っている「心得」などが改正され、「男子は坊主」「夏休みの外出は学生服着用のこと」などの規定がなくなった。

 文化祭の名称は「秋桜祭」。2年生のときのスローガンは「心で築こうぼくらの文化 この手でつかもう小さな何か」(1977年11月8日)、3年のときは「僕らの心、今こそ一つの輪になって創りあげよう秋桜祭」(1978年11月7日)。クラスや「有志」(3年の時は有志参加はなくなり、すべてクラス単位での参加となった)による特設野外ステージでの音楽演奏、合唱。演劇、展示など生徒の自主性が大いに尊重されるものとなった(ボクが中学校1年の時の文化祭は、一般生徒は体育館でただ文化部の演奏や演劇を見て聞くだけのお客さんだった)。

 ボクが3年だったときの、生徒会長はパンフレットに次のように書いている。

 「秋桜祭には大きな意義があると思います。それは“創造の精神”を育てることです。日常生活を基礎として、みんなで考え生み出していくこと。秋桜祭が単なるお祭りならば“まね”だけでも楽しくできますが、心に残るような何かを見い出すためには、“創り上げていくこと”つまりみんなで創造することが、大切なのだと思います。
 “僕らの心、今こそ一つの輪になって創り上げよう秋桜祭”このスローガンを合言葉に、みんなで協力してきたと思います。……秋桜祭に向けた情熱と、秋桜祭のなかで学んだことを、日常生活にひきついで、これからの生徒会活動を充実させていきましょう」

 この文章は先生が書いたり、手を入れたりしたものではない。すごいでしょう。

●組織と運動にはまったボク

 この生徒会改革のリーダーであり生徒会顧問が佐伯先生と大貫育男先生だった。

 ボクは生徒会本部役員になり、生徒会活動にどっぷりはまった。動かなかった組織が動き出すダイナミズム。毎日がわくわくの連続だったのだ(今にして思えば、結局この15歳の体験がボクの人生を決めたのだ)。

 よく生徒会室で本部役員の仲間や佐伯先生、大貫先生といろんな話をした。
 ボクは頭でっかちで、「○○であるべきなのに、そうなっていないじゃないか。これはおかしい」というような観念的な発言をよくふっかけていた。二人は「二見の言っている『理想』(かくあるべき)を実現するために問題点をさぐりだして、どう変えるのか」が大事なのだと具体的に話をしてくれたのだった(もう30年以上前のことだから具体的内容は覚えていないけれども…)。

●人生の師であり、憲法学習の扉を開いてくれた

 二人の話はいつも筋が通っていて、かっこよかった。ボクもこういう大人になりたい、先生になりたいとその頃、強く思ったのである(その後諸般の事情で教員にはならなかったのだが…)。

 大貫先生は1年の1学期だけボクの担任だった(生徒の急増でクラスが再編され、2学期からは別の担任に)。

 佐伯先生は、と言うと担任はおろか、授業を受けたことが一度もないのだ。
 
生徒会顧問と生徒会役員という繋がりだけ。あるとき、「伸吾ちゃんはこういうのが好きでしょう」と言って、平和委員会が復刻した文部省発行『あたらしい憲法のはなし』をくれたのだった。

 今も手元にあるが表紙はとれ、ボロボロ。ボクは現在「広島県9条の会ネットワーク」の事務局をしているが、その原点をつくってくれたのは佐伯先生だったのである。

勉強の先生というより「人生の師」なのである。

 2005年に「憲法語り部講座」を開講して講師をつとめた。それをもとに「学びの草紙憲法篇 いろはにこんぺいとう」という冊子を作り、佐伯先生にもお送りした。 

 たしか2010年だったと思うが、お宅にお邪魔したときに「この冊子の中身でもう一度憲法の授業をしてみたかった」(退職したあとだったから)と褒めてくれて、とてもうれしかった。

 会う機会は少なくなっていたが、中学校を卒業してから33年ずっと先生とボクは繋がっていた。

●口角泡を飛ばして熱く語りあいたかった

 アスベストの危険性を知りながら、企業の利益のために他国よりもずっと遅くまで禁止しなかった日本政府に佐伯先生は殺されたのだ(※)。

 アスベスト被害と東日本大震災での被災者放置は繋がっている。いのちより儲けなのだ。
 中皮腫が発症したらだいたい2年で亡くなるのだと本人から聞いてはいた。しかし、それを1年以上も超えて生きた。いつかこの日が来ることを予期しながらも「佐伯先生なら…」と思っていたのだった。
 
先月、蠣(カキ)を送ったら「いつもおいしい蠣をありがとう。今日9個食べた。明日も9個食べる」と弾んだ声で電話をもらった。とても元気そうで、それから1か月もしないうちに亡くなるなんて……。
佐伯先生、もっともっと生きて欲しかった。いつもそうであったように二人で口角泡を飛ばして、熱く語りあいたかった。

 先日、声が聞けたのがせめてもの救いだと自分に言い聞かせている。

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(最後に会った2011年7月1日 隣は奥さんの「のんちゃん」(典子さん)。


※空気中の大量のアスベストが人体に有害であることを指摘した論文はすでに1964年の時点で公開されている(水道水には通常、大量のアスベストが含まれているが無害であると言われている)。

 アスベストの製造物責任を世界で最初に追及されたのは、世界最大のアスベストメーカーであったアメリカのジョンズ・マンビル社である。1973年に製造者責任が認定されると、類似の訴訟が多発し、1985年までに3万件に達した。マンビル社自体も1981年の段階で被害者への補償金額が3,500万ドルを超えた。更に同社だけで2万件近い訴訟の対象となり、最終的な賠償金の総額が20億ドルに達することが推定できた。このため、同社は1982年に連邦倒産法第11章(日本の民事再生法に相当)を申請し倒産した。

 このような動きを受け、世界的にアスベストの使用が削減・禁止される方向にある。

  日本では1975年9月に吹き付けアスベストの使用が禁止された。その後、労働安全衛生法において作業環境での濃度基準、大気汚染防止法で特定粉じんとして工場・事業場からの排出発基準を定めるとともに、廃棄物の処理及び清掃に関する法律で、飛散性の石綿の廃棄物を一般の産業廃棄物よりも厳重な管理が必要となる特別管理産業廃棄物に指定し、アスベストによる飛散防止や健康被害の予防を図っている。

 なお、2004年までには、石綿を1%以上含む製品の出荷が原則禁止され、2005年には、関係労働者の健康障害防止対策の充実を図るため、石綿障害予防規則が施行された。
(Wikipediaより)

Comments
佐伯先生 
私も佐伯先生が好きでした。
よく畑を耕していましたね。
何かと面倒も見てくれて、感謝しています。
亡くなったとの事、今知りました。
記事を読みながら、沢山の思い出に胸が痛む思いで読んでいました。
知れて良かったです。
yukiさんへ 
コメントありがとうございます。

3月30日、佐伯先生のお宅にいきました。先生は死の直前まで「元気」だったようで、死の自覚もないままあの世にいってしまったようです。

佐伯先生の死はとても残念ですが、この歪んだ社会を少しでも変えるために力を尽くすことで、生前受けた恩を返したいと思います。

 
アスベスト関連の記事を調べていたところ主さんのブログに目が止まりました。
佐伯先生っていい顔してますね!

私も以前、建築の仕事でアスベスト暴露しています。
発症するのか、しないのか?日々、不安を抱えて過ごしてます。
私のように以前アスベスト暴露をした現場の人達はこれから発症の時期を迎えることと思います。
これから中皮腫やアスベスト肺癌などアスベスト特有の患者が増えることと思います。
日本の建築物にはまだ沢山のアスベスト建材が残ってます。これから、それらの建物が老朽化すれば、一般の人にもアスベスト暴露の危険が伴います。アスベストは人の人生を狂わせる時限爆弾です。

Re: アスベスト 
コメントありがとうございます。大企業そして日本政府はアスベストの危険性を知りながら、労働者に使わせてきたのです。佐伯先生は、約10年検品の仕事をして暴露し、亡くなる直前まで元気そうだったのに…。
国と企業に殺されたと私は思います。大事な人を失いました。

> アスベスト関連の記事を調べていたところ主さんのブログに目が止まりました。
> 佐伯先生っていい顔してますね!
>
> 私も以前、建築の仕事でアスベスト暴露しています。
> 発症するのか、しないのか?日々、不安を抱えて過ごしてます。
> 私のように以前アスベスト暴露をした現場の人達はこれから発症の時期を迎えることと思います。
> これから中皮腫やアスベスト肺癌などアスベスト特有の患者が増えることと思います。
> 日本の建築物にはまだ沢山のアスベスト建材が残ってます。これから、それらの建物が老朽化すれば、一般の人にもアスベスト暴露の危険が伴います。アスベストは人の人生を狂わせる時限爆弾です。

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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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