パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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貧困と差別・戦争が当たり前だった日本社会で

「弁護士 布施辰治」上映によせて
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明日、18日 広島市西区民文化センターで映画「弁護士・布施辰治」が上映されます。

●日 時:2月18日(金)
           1回目 10:00
           2回目 14:00
           3回目 18:30
●場 所:西区民文化センター(スタジオ)
●前売鑑賞券 大人1,000円(当日1,300円)
       大学生以下800円(当日のみ)
●主 催/『弁護士布施辰治』上映実行委員会
●事務局/広島映画センター TEL 082-293-1274



当日配布用の資料として書いたものを以下、掲載します。


 この映画の主人公、布施辰治は1880年に生まれ、1902年に今の明治大学、明治法律学校を卒業し、判事検事登用試験(今の司法試験)に合格します。亡くなったのは1953年(昭和28年)です。1945年に第二次世界大戦が終わりました。ですから、布施辰治が主に活動したのはいわゆる明治憲法、大日本帝国憲法のもとでの20世紀前半の日本社会でした。

布施辰治の活躍がいかに画期的だったのか。そのことを正確に理解するためには、彼の生きた時代、20世紀の前半がどういう時代だったのかを知ることが大切です。
 大きくいえば、貧困と差別、戦争、自由と権利の抑圧の時代だということです。

●「生きんがため」の民衆とともに 

 まず、貧困です。21世紀に入って再び「貧困」が問題にされるようになっていますが、20世紀前半の貧困はどうだったのでしょうか。
 茨城県の猿島郡(さしまぐん)弓馬田村(ゆまだむら、現在、坂東市)では、1905年から1909年の5年間に、938人の子どもが生まれていますが、死産が110人で、4割の子どもが5歳を待たずに死んでしまう。これはけっしてこの村だけのことではなく、日本全体がほとんど同じような状況でした。

 「寄生地主制」と呼ばれていますが、農民は収穫の5割以上もの小作料を支払わねばなりませんでした。農民の暮らしと労働は極めて過酷だったのです。農作業とともに家事もしなければならない女性にとりわけその負担が押しつけられ、「妊婦であろうがなかろうが、農村女性に休養はない」という日々を過ごさねばなりませんでした。ですから、生まれたばかりの嬰児や乳児に対してきちんと授乳し、衛生的な状態を保つことなど不可能だったのです。

布施は検事代理任命後、約半年で辞表を出します。
 気の毒な母親が幼児三人と心中をはかり思い直して自首したのですが、その母親を殺人未遂で起訴せざるをえない。布施はこの命令を拒否して、検事を辞めたのです。 

布施は1918年に起きた米騒動の弁護人になります。

 第一次大戦後の好景気で日本国内の物価ははね上がり、とくに米価は地主の売り惜しみと商人の買い占めによって暴騰しました。これに加えて1918年の夏、シベリア出兵を見越した米の買い占めによって米価はさらに暴騰。 
こうしたなか7月、富山県魚津の漁師の妻たちが、県外への米の積み出しを阻もうとする行動を起こしました。これがきっかけとなって米の安売りを求めて米屋・資産家・大商店などをおそう米騒動がおこり、全国に広がりました。

 参加者70万人、全国の38市、153町、177村に及んでいます。広島県でも広島,呉,福山,尾道の4市19町20村で米騒動が起き、呉市の米騒動はその参加規模,兵員を含む参加者の拡がり,運動の激しさ,被害戸数及び被害額の大きさ,負傷者数,死者5名の発生,呉海兵団及び呉憲兵隊の出動など,広島県のみならず全国でも最大規模の騒動だったといわれています。

 布施辰治と布施法律事務所は,米騒動事件における裁判のほとんどに弁護人として参加しました。布施は、米騒動を、民衆における「生きんがため」の運動だといい、ただこの一点において弁論にあたったといいます。
 貧困にあえぐ人びとが生きるためにやむをえず起こしたのであって、彼らに罪はないということでしょう。

●差別され、独立を求める人びととともに

 日本は台湾、朝鮮を侵略・支配し、それが中国全土へと広がり、さらにアジア全体へ及んでいきました。
 1895年日清戦争に勝った日本は、台湾・澎湖列島を清国から奪い、朝鮮に対する清の支配権を排除。さらに3億円の賠償金を手にします。
 台湾は日本のはじめての植民地となりました。台湾の漢民族は激しく抵抗し、さらに高砂(たかさご)族も抵抗しましたが、日本は武力でこれを弾圧したのです。

 戦争と植民地獲得は、日本人の意識を変えてゆきます。日清戦争中、日本国内では、この戦争は文明と野蛮の戦争だといわれました。文明のある中国に対して野蛮な日本が戦争をしくんだ、という意味ではありません。日本が「文明国」で清国が「野蛮」だという思い上がった宣伝が政府によってなされ、それが民衆の間にも広がって行きました。

 朝鮮侵略と朝鮮人への差別が当たり前の風潮になるなか、布施は、朝鮮の独立運動を支持し、朝鮮人民の独立のための運動で弾圧された人びとを弁護しました。
 関東大震災のとき、朝鮮人虐殺に対して、調査・抗議活動をしています。
 それは命がけのたたかい、弁護だったといっていいでしょう。

●自由と権利を求めて
 
大日本帝国憲法に示されている戦前の自由と権利は、すぐさま政府によって規制できる極めて弱いものでした。主権者は天皇であり、日本国民はその家来=「臣民」でです。言論の自由も厳しく制限があり、布施はその弁護活動によって幾度も起訴され、弁護士資格も2度も剥奪されています。しかし布施そんななかでも、つねに弱い者の立場に立ち、出来る限りの力をだして、自由と権利を求めてたたかい続けたのです。
 布施の努力は、戦後「思想および良心の自由」(19条)「信教の自由」(20条)、「集会、結社および言論、出版」など表現の自由(21条)「健康で文化的な生活」を営む権利(25条)などの日本国憲法の条文として結実しました。
 戦争を美化することではなく、彼のような先人がいたことこそが、日本国民の「誇り」として語られなければならないでしょう。


参考・引用文献(引用符は省略してあります)

布施柑治『ある弁護士の生涯 -布施辰治-』岩波新書
宮地正人監修『日本近現代史を読む』新日本出版社
大門正克『明治・大正の農村』(岩波ブックレット)
纐纈厚『侵略戦争』(ちくま新書)
安田常雄ほか編『近代社会を生きる』(吉川弘文館)
大日方純夫・山田朗編『近代日本の戦争をどう見るか』(大月書店)
吉田健二・小宮源次郎「広島県の米騒動に関する新資料」(『大原社会問題研究所雑誌』№609/2009.7
Comments
人は、パンだけのために生きるのではない! 
パンとともにバラを!
人は、パンだけのために生きるのではない!
搾取と戦争のない世界を!

アメリカの裏庭ラテンアメリカは、平和的に民主化の道を進みはじめている
アラブ世界にも民主化が!
日本は、外国の軍事基地残り、食糧を輸入できない時を迎えるのか?

その前に、民主化の達成を!
「公平な放送を!」 http://koheina-hosowo.blogspot.com

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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