パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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井上ひさしさん亡くなる

井上ひさしさんが亡くなりました。

井上ひさし花束トリミング03

写真は昨年「子どもの本 九条の会・広島」の結成総会のもの。花束を渡しているのは次女・ひかるです。

いろはにこんぺいとうに書いた井上ひさしさんの紹介を掲載して、追悼します。



山形県小松に生まれる

 井上ひさしさんは、1934年、山形県東置賜(おきたま)郡羽前小松町(現在の川西町)に生まれました。5歳の時に亡くなった父親、修吉さんは作家志望で農地解放運動家。アカ呼ばわりされ、何度も警察に連れていかれたといいます。井上さんも「スパイの子」「非国民」と言われていじめられました。

 戦争が終わり、初めて買った本が宮沢賢治の『どんぐりと山猫』。

野球と映画の日々

 中学校になってからは映画と野球の日々を過ごします。

 観た映画は中学校の3年間で600本近く。高校(県立仙台第一高校)に入ってさらに映画への熱は高まり、3年間で1000本も観た井上さん。孤児院の図書室の本を古本屋に売ったりして映画代を捻出。授業をさぼって映画をみていて、美しい女性に手をつかまれたと思ったら、警察官だったということも。

 憲法学者の樋口陽一さんは高校の同級生。吉野作造は第2回卒業生で大先輩にあたります。
 
渡部昇一と対決

大学は上智大学。大学の図書館に足繁く通った井上さんですが、大学院生のイヤな館員がいました。
 時間に厳格で一秒でも過ぎると返却を受けつけてくれない。意趣返しに大学図書館が一番大事にしている本を共謀して盗んだといいます。

 このイヤな館員、「後日談を言いますと、彼はのちに有名な評論家になられました(笑)」(『本の運命』116~117ページ)

この「有名な評論家」とは渡部昇一らしい(渡部昇一は田母神俊雄元航空幕僚長の先生である)。
大学に通いながら浅草フランス座で文芸部進行係をつとめた後、放送作家の道をすすみます。「ひょっこりひょうたん島」はつとに有名。

 『吉里吉里人』で憲法讃歌
 
『吉里吉里人』(新潮文庫)は、1981年に刊行され、ベストセラーに。
岩手県内にある人口4187人の小さな町が、100%の食料自給率と世界最高水準の医療技術などを背景に、独立を宣言するという奇想天外な物語。

 作中、沼袋老人はつぎのように憲法9条を讃えます。

 「……吉里吉里国民は、はァ、正義(しえーぎ)と秩序(つつぞ)ば基調(けとー)ど為(す)る国際平和ば誠実(しえーづづ)に希求(のんぞみ)す、国権の発動(みせびらかし)たる戦争(ドンパチ)ど、武力(ぶろぐ)さ依(よ)っかがった威嚇(おどす)又(まんだ)ァ武力(ぶろぐ)の行使は、はァ、国際紛争(もめごと)を解決(ほんどぐ)する手段(てだて)とすては、永遠(とことん)にこれば放棄(ぽい)すっと。この目的(めあて)ば達すっため、陸海空軍、その他(ほが)の戦力は、はァ、保持しない(もだねーど)。国の交戦権は、はァ認めねえ。

 ……美し(うづくす)いのう。子守唄(ねろてば)の様(よ)に優し(やさす)いのう。まるでお天道様(でんとさん)だ、公明正大で、よう。そすでがらに、まんつまんつ雄々し(おおす)いのう。力強い(つからづえー)言葉だのう。皆の衆も知っての通り、俺達(おらだづ)、吉里吉里人は、この条文(くだり)ば日本国憲法から盗んだんだっちゃ。この条文(くだり)さ、惚れで惚れで、惚れ抜いで、そんでそっくり掻っ払って来たんだっちゃ」(『吉里吉里人』新潮文庫、上巻470-471ページ)

憲法と政治は人びとのために  

民本主義を唱えた吉野作造とそのおとうと、信次を描いた『兄おとうと』(新潮社)。憲法と政治は人びとのためにあると作造に語らせます。

  「これまではみんな「人生ってそんなものさ」と、何の疑問も持たなかったが、最近は違う。わが子のための石炭やシャツがないのはなぜ? 雨風から家族を守る住まいが持てないのはなぜ? 自分を暖めてくれるショールがないのはなぜ? なぜ、なぜ、なぜ。(すこし改まって)さよう、人びとは「なぜ」と考えることによって政治に目覚め始めたのであります。(チラ)こうなると政治学も変わらねばなりません。……(中略)……これからの政治学は人びとが抗議するときに役立つ学問でなければならぬのです。為政者すなわち政治を行う側にではなく、人びとの側に立って考えること、これこそが大正新時代の政治学なのであります。
 ……では、人びとはどのような方法でお偉方に抗議するのか。もちろん、憲法と議会をもってそれを行うのであります」(『兄おとうと』34ページ)

なぜ遅筆堂なのか

 締め切りを守ろうと自戒してつけた雅号が「遅筆堂」。
 大江健三郎さんは、「紙屋町さくらホテル」を観た感想のなかで井上さんの「遅筆」の理由ををつぎのように推理しました。

 「まともな作者は、できるかぎり準備をし、構想をかためて出発するけれども、そのうち具体的に細部を書き進めることではじめて正体の見えてくる困難につきあたってしまう。その大きい困難な石を、最初の構想をゆがめるとして見て見ぬふりをしたり、避けて通ったりすることもできなくはありません。しかし本当の作者なら、その厄介な石を正面に引きつけて立ち向かうことに情熱を燃やします。なぜなら、こうした困難の石を掘りあててしまうことで、構想の間には予想できなかった、深い核心にめぐりあうのだからです。そしてなんとか困難の石を掘り起こしえた時、それは逆に幸いの手がかりだったことがはっきりすることがある。そして作者は新しいかれ自身を達成することができるのです」(1997年11月10日「読売新聞」、「the座」№53に再録)

 困難を一つひとつ乗りこえてゆくなかでよりよい作品となり、結果として遅筆になるというわけです。

 井上さんは力強くこういいます。

 「夢を見る力、その夢を信じて挫けぬ力、この二つの力があれば奇跡は起こせます」(遠藤征広著『遅筆堂文庫物語』日外アソシエーツ、に寄せた序文)

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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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