パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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フォイエルバッハ論(15) 体験的・古典の修行

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●ヘーゲル弁証法の真の発展

マルクスは、フォイエルバッハがしたようにヘーゲルを「簡単に脇に置」いたのではありません。「ヘーゲルの弁証法的方法という革命的側面、すなわち弁証法的側面」と唯物論を結びつけたのです。

 「ヘーゲルにあっては、自然および歴史において現れる弁証法的展開は、すなわち、あらゆるジグザグの運動や一時的な後退を経て貫徹される、低次から高次に向かう進歩の因果関係は……概念の自己運動の、模造品なのである。問題は、このイデオロギー的転倒を除去すること」(114ページ)にありました。

ヘーゲルは「現実の事物を絶対概念」の発展の模写としてとらえましたが、唯物論は頭脳に存在する概念を、再び、唯物論的に現実の模写ととらえたのです。ヘーゲル流の「概念の弁証法は、逆立ちさせられた、というよりむしろ、逆立ちしていたものが、再び足で立つようにされたのである。こうして、この唯物論的弁証法は、マルクスやエンゲルスの「最良の研究手段となり、もっとも鋭い武器ともなってきた」のです。

こうしてヘーゲル哲学の革命的側面が再び取り上げられ、同時にヘーゲルにあってはこの側面の首尾一貫的展開を妨げてきたフォイエルバッハ流の観念論的美辞麗句(愛、道徳、幸福追求など)から解放されました。

 「あらゆる見かけ上の偶然時にもかかわらず、あらゆる一時的な後退にもかかわらず、最終的には前進的な発展が貫かれる、という偉大な根本思想」とエンゲルスは高く評価しています。偶然や一時的な後退にもかかわらず、前進的な発展が貫かれる。歴史は必ず発展するのだと。

しかし、ここでエンゲルスは「これを言葉において承認することと、それを現実に、個別的に研究されるに至ったあらゆる領域で、貫くこととは、別問題」だと忠告します。これは心しておかねばなりません。「弁証法は発展の科学だろう。そんなの知ってらあ。でもうちの組合はかわらねえなあ」なんてね。

●「形而上学」の歴史的正当性

 「形而上学」(けいじじょうがく)とは、『空想から科学へ』でも説明しましたが、ものごとを固定的にみる見方です。エンゲルスは、この「形而上学」的見方には、「大きな歴史的な正当性があった」といいます。「事物に生じる変化」を知るためには「事物がなんであるか」が分からなければならなかったからです。18世紀の「収集する科学」から19世紀の「整理する科学」へと発展しました。

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国民年金 国庫負担を増やした? 実は税金の二重取り。

広島中央保健生協 憲法を学ぶ大運動 推進ニュース憲法診断№35

「消費税率の引き上げ分はすべて社会保障に」キャンペーンのペテンをあばく ③国民年金編


  →憲法診断№35 pdf

憲法診断35-001


憲法診断35-002







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力を合わせよう、新しい世の中をつくるためにたたかおう。 byチャップリン

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チャップリンがボクらを応援している。「独裁者」から拙訳で。

*********

『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間のなかにある」と書かれている。一人でも、一部でもなく、全ての人間のなかにある。そう、君のなかにだ。人びとには力がある。機械を創りだす力、幸福を創りだす力だ。それは人生を自由で美しいものに、はらはらどきどきで素敵なものにする。

だから、民主主義をかかげ、人びとの、そう私たちの力を使おうではないか。力を合わせよう、新しい世の中をつくるためにたたかおう。誰にも仕事があって、青年には未来があり、老人には安心がある、そんな人間らしい世の中をつくろう。
そんな約束をしながら獣たちも力を伸ばしてきた。しかし、奴らは嘘つきだ。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。

独裁者は自分たちを自由にし、人々を奴隷にする。

今こそ、約束を実現するために、世界を自由にするためにたたかおう。

国境という壁をなくすために、強欲と憎しみ、不寛容を失くすためにたたかおう。

理性ある世界のためにたたかおう。私たちすべてを幸せに導く科学と進歩のある世界のためにたたかおう。

In the seventeenth chapter of St. Luke it is written: “The Kingdom of God is within man.” Not one man, nor a group of men, but in all men! In you! You, the people, have the power! The power to create machines. The power to create happiness. You the people have the power to make this life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.
Then in the name of democracy, let us use that power. Let us all unite! Let us fight for a new world. A decent world, that will give men a chance to work, that will give youth a future and old age a security. By the promise of these things, brutes have risen to power. But they lie. They do not fulfill that promise. They never will. Dictators free themselves, but they enslave the people.

Now let us fight to fulfill that promise. Let us fight to free the world.

To do away with national barriers. To do away with greed with hate and intolerance. Let us fight for a world of reason. A world where science and progress will lead to all men’s happiness.


 →動画(youtube)

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フォイエルバッハ論(14) 体験的・古典の修行

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四、科学的社会主義とは--自然科学の発展を踏まえて(1)

●ヘーゲル学派の真の発展としてのマルクス

 111ページは、いままでのまとめです。

「フォイエルバッハだけが哲学者として重要であった」が、「哲学者として中途半端であって、下半身は唯物論者、上半身は観念論者であった」



下半身は唯物論というのは、物質が精神の産物ではなく、精神が物質の最高の産物であるという見地(79ページ)。上半身は観念論者というのは、社会や人間についての見方が観念論の域を出られなかった、ということであり、前回検討しました。総論としては唯物論にたどりついたフォイエルバッハでしたが、ヘーゲルの積極的な側面を読み取ることができず、その行き着いた先は、「愛」と「道徳」でした。フォイエルバッハと違う方向に、ヘーゲルを生かした唯物論が登場します。抽象的な言葉を弄(もてあそ)ぶのではなく、現実的世界をありのままにとらえようとすることです。それをなしとげたのはカール・マルクスでした。

「現実的世界--自然と歴史--を、あらかじめ観念論的な思いこみをもつことなしに接近するどの人間にもあるがままの姿でとらえよう、ということであり、諸現実を幻想的連関ではなく、それ自身の固有の連関においてとらえたとき、諸事実と一致しえないいかなる観念論的な思いこみも容赦なく犠牲にしようということである。これ以上のことを、唯物論は一般になにも意味しない」(113ページ。訳文を一部変更)



●あるがままの姿でとらえる「決心」

 『古典への招待』(下巻293ページ、新日本出版社)で、「現実の世界、すなわち自然と歴史を、『あるがままの姿で』とらえる『決心』をすること、自然と歴史に対して、頭のなかで考えられた『連関』を外からもちこもうとする気まぐれをいっさい拒否すること、それが唯物論だ--エンゲルスのこの指摘は、あらゆる観念論に対する決別の言葉であり……大変味わい深い名言だと思います」と不破哲三さんが解説しています。

ビギナーズ版では、「決意」(entsclossen)という言葉は出てきません。それぞれ、「現れるままの形態でとらえよう」「容赦なく犠牲にしよう」と内容に即して訳されています。しかし、その文意のなかに不破さんが述べたような「決意」が込められているのでしょう。

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フォイエルバッハ論(13) 体験的・古典の修行

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●善と悪、幸福について

善は善、悪は悪。普通はそう考えています。しかし、ヘーゲルは「悪とは、歴史的推進力が現れるさいの形式」(102ページ)と言ってのけます。一方では、「神聖なるものへの冒涜(とく)として」、他方では「人間の邪悪な熱情、つまり所有欲や支配欲が、歴史的発展の槓杆(てこ)になっている」からです。実際の歴史、現実は「善は善」「悪は悪」と単純にいかないんですね。仮面ライダーやウルトラマンの世界とは違う(笑)。

フォイエルバッハの語る道徳は貧弱で、その基礎は幸福を求める衝動です。

しかし、この幸福衝動は二重の修正をこうむります。第一は、飲み過ぎの結果が二日酔いになるように「行為の自然結果」として。第二に、他人の幸福衝動は、他人のそれをも尊重しなければならないという「行為の社会的結果」として。

この陳腐な幸福論に、エンゲルスは次の幸福論を対置します。

「幸福衝動は、人間が自己自身に関わるだけではきわめて例外的にしか充足されず、みずからも他の人びとにも利益をもたらすことはない。かえって幸福衝動は、外的世界の関わりを、充足の手段を、つまり食料、異性の個人、書物、娯楽、討論、活動、利用し加工する対象を必要とするのである」(104ページ)。



これら「充足の手段」なしに「愛」をさけんでも、「それでも愛は勝つ」ことにはならない。それは「充足の手段」をもっている人たちの幸福論にすぎないのです。

●株式取引所こそ倫理の殿堂

こうしたフォイエルバッハの道徳論の行き着く先は「株式取引所」です。「株式取引所こそ、倫理の最高の殿堂」である。愛と幸福の行きつく先が「株式取引所」??。

それはなぜか。儲かったときは、幸福衝動は満たされます。損した人がいても、それは非倫理的にすぎません。フォイエルバッハは愛と幸福を手に入れ、損したときは非倫理的な行為をした。ただそれだけのことです。

「私が取引所で取り引き操作の結果を正しく予見し、それゆえ首尾よく成果をあげるなら、私はフォイエルバッハの道徳の最も厳格な要請をすべて満たし、その上に金持ちになるのである。換言すれば、フォイエルバッハの道徳は、たとえ彼自身はそれを欲せず、また予期することもないにせよ、今日の資本主義に適合しているのである」(107ページ)



当たり前の話ですが、得をする人(企業)がいれば、損をする人(企業)がいる。それが「証券取引所」です。よく「絶対儲かる」という電話がかかってきたりしますが「絶対儲かるなら、あなたが買いなさい」と応えましょう(笑)。

ヘーゲル哲学から出発し、それを乗り越えようとしたフォイエルバッハでしたが、彼のたどり着いた先は「証券取引所」であり、「資本主義社会に適合」したものに堕してしまったのです。

●この章のまとめ

フォイエルバッハの道徳は無力でした。幸福衝動を満たす物や条件なしに「愛せよ」「幸福を求めよ」と言っても、何の足しにもならないからです。

「現実には、どの階級も、いやどの職業でも、それぞれ固有の道徳をもち、罰せられなければそれを破りもするのであって、万人を1つにするとされる愛は、戦争や紛争、訴訟、家庭内不和、離婚、そして一階級の他階級による可能な限りの搾取のうちに本性をあらわすのである」(109ページ。訳文は一部変えた)。



フォイエルバッハの望んだ「愛」の実現、「実践的生活のすべての困難を耐え抜く力」はなぜ、無力に終わったのでしょうか。フォイエルバッハは、彼の忌み嫌った「抽象の国」から出て、「生きた現実」に行きつく道をみつけだせばよかったのです。しかし、それを果たすことはできませんでした。その理由はすでに述べた通りです。

フォイエルバッハが踏みだすことが出来なかった歩みは、マルクスとエンゲルスによって『聖家族』(全集②)というブルーノ・バウアー批判として始まったのです。これが前回の冒頭に書いた「ヘーゲルを真に批判的に乗り越えたのは誰か?」の答です。

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12月6日 秘密法にNO 民主主義にYES

12月6日市民デモチラシ


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ぼくたちにはせんきょけんけんがありません。


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国民健康保険の負担は軽くなるの?

さあ、出来ました。
広島中央保健生協 憲法を学ぶ大運動 推進ニュース「憲法診断」№34
「消費税率の引き上げ分はすべて社会保障に」キャンペーンのペテンをあばく② 国民健康保険編

400万人分の保険料を軽減といばるが、大したことはないのだよ。3.8%だから。
えっ、何の3.8%だって? 

憲法診断34-001
憲法診断34-002

 →憲法診断№34pdf







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フォイエルバッハ論(12) 体験的・古典の修行

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●宗教について

第二に、宗教そのものについてです。フォイエルバッハは、歴史を「宗教上の変化によってのみ区別される」と言います。宗教が歴史に影響を与えたのは事実でしょうが、それを唯一の要因とするのは無理があります。エンゲルスはそのことを歴史的事実をあげて例証していますが、歴史学が進んだ今日、フォイエルバッハの見解をまともに受けとる人はいないでしょう。

愛の哲学(=宗教)を称揚するフォイエルバッハ。これに対して、エンゲルスは「他の人びととの交わりにおいて純粋に人間的な感情をもてるのか」(98ページ)と問題提起し、「この社会によってすでに十分損なわれている」と回答します。

これは今なお変わりません。長時間労働、低賃金、ワーキングプア……。あまりに出会うチャンスがないため「婚活(結婚するために活動すること)」なんて言葉までできてしまう実態です。現実にないものを宗教に祭り上げる必要はありません。「愛の力」という言葉でひどい生活を変えることはできないからです。

フォイエルバッハの説く宗教は、現実的な人間ではなく、抽象的な人間に基づいているのです。「現実的人間」とは、あなたやあなたのまわりにいる人たちのことです。

メシを食えば、糞もする、働き、眠る、性愛もとりおこなう人びと。「抽象的な人間」とは、フィルターを通してみた実体のない、フォイエルバッハ流の人間です。「性的な交わり以上の人と人との交わりを語る段になると徹頭徹尾抽象的になってしまう」(99ページ)といって、エンゲルスはからかいます。

愛の次に取り上げられるのは、「道徳」です。フォイエルバッハの説く「道徳」はヘーゲルのそれよりはるかに貧しい中身しかないと手厳しい批判を加えます。

ヘーゲルは『法の哲学』(邦訳は「世界の名著」中央公論社、など)において自らの「倫理学」を展開します。ふつう「道徳」と「倫理」は同じ意味です。しかし、ヘーゲルは「道徳と倫理は通常、ほぼ同じくらいの意味のものとされているが、本書では本質的に相違した意味に解している」(『法の哲学』226ページ)。

『法の哲学』が、なぜヘーゲルの倫理学なのかというと、「善」が、法ないし権利(Recht)、道徳、倫理(人倫)を経て家族、市民社会、国家へといたる道筋を扱っているからです。それゆえ、ヘーゲルはこの著作を『倫理学』ないし『道徳学』とはせず、『法の哲学』と名づけ、それぞれのあるべき姿と発展の道筋を明らかにしようとしたのです。

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消費増税で子育て支援は充実するの?

広島中央保健生協 憲法を学ぶ大運動 推進ニュース「憲法診断」№33

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→「憲法診断」№33pdf







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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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