パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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今週末です。大江健三郎講演会

どなたでも参加できます

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子ども・子育て新制度とは  全国保育合研に参加して(4)

●保育の格差許さず、子どもたちの命を守ろう

 午後は「保育施設での事故から考える」という特別分科会に参加しました。6年前にお子さんを亡くしたお母さん。「今まで事故のことについて話すのがつらかった。まだ引きずっているのかと言われるのがつらい。なぜちゃんとみてくれなかったのか。

とにかく子どもに会いたい。乗り越えることはできないが、同じような事故が起きないようにすることはできるのではないか」とこの分科会に参加した思いを語ります。お父さんは「どうして子どもが死んでしまったのか。とにかく真実が知りたい。相手が真実を語らないなか裁判を起こすしかなかった」と言います。

分科会の世話人で、全国保育連絡会の石川幸枝さん(なかよし保育園3園を運営する愛児福祉会常務理事)は、次のようにコメントしました。

子どもを亡くしたお母さん、お父さんが事故について話すのはどれだけ勇気のいることかと思う。

保育所における死亡事故の8割がお昼寝の時間に起きている。保育士はたくさんの仕事をかかえ、それををするのはお昼寝の時間だ。

しかし、忙しさの問題と子どもの命をてんびんにかけるわけにはいかない。事故は認可外施設が多いが、認可施設でも起きている。

事故が起きたとき、真実を語ることはとても大変なことだ。それでも目の前にいる子どもの命を救えなかったことに対して真実を語り謝罪しなければならない。保育者に対しては、真実を語る勇気を持て!と言いたい。

大きな事故は小さな事故、事件を見過ごすなかで起きている。安全対策委員会などで、「ヒヤリ・ハット」を集めて分析し、大きな事故を起こさないことだ。

新制度は、保育に格差を生み出す。かんたんな研修を受けただけで保育の担い手になれる家庭的保育。現状でも保育ママ制度のもとで事故が頻発している。公的制度のなかで子どもの命に格差が生じる。私たちは子どもの権利条約を掲げて、子どもたちの命をまもらなければならない。


安倍政権は「女性が輝く日本」を掲げ、その実現のための政策として「職場復帰・再就職の支援」「女性役員・管理職の増加」とともに「待機児童の解消」を掲げています。

「5年で40万人分の保育の受け皿を確保する待機児童解消加速化プランで、平成29(2017)年度末までに待機児童の解消を目指」すというもの。しかし、その内容はこの新制度にあらわれているように、保育所を増やすのではなく、似非(えせ)保育所をつくり、そこに子どもを収容することにほかなりません。

「集団的自衛権」が守ることと無縁で、アメリカとともに戦争するしかけであるように、「女性が輝く日本」という包装紙のなかに入っているものは、女性も男性もそして子どもたちも涙する日本なのです。

                                   (おわり)

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社会科学としての倫理を説いた師匠、中易一郎

前のブログに書いた6年前(なんと6年も経つのか!)の記事ですが残しておきたくて、リサイクル。

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ゴールデンバット


(2008年)8月18日、哲学の師匠、中易一郎先生が亡くなりました。79歳。たしか、1928年生まれだったと思います。中易先生との出会いは、大学一年、18歳のとき。法政大学の倫理学の授業です。先生は拓殖大学に勤めていましたが、法政にもドイツ語と倫理学を教えに来ていたのです。

先生は風貌も独特でした。唐草模様の風呂敷包み、ミッキーマウスの安物の時計、たばこはゴールデンバット。  先生も執筆者の一人だった『現代の倫理』(青木書店)をテキストにした講義は抜群に面白く、いつも一番前に陣取って講義を聞いていました。大教室の授業でしたが、私語をするものがいると「こら~、うるさい!でていけ~」と一喝。教育者としての厳しさがありました。 

中曽根氏との面接

ご自宅にも何度かお邪魔し、いろんな話を聞きました。拓殖大学に就職するさい、総長だった中曽根康弘氏の面接を受けたそうです。  

あらかじめ、「マルクスをやっているなどと決して言ってはならない」と就職を世話してくれた人からアドバイスされていたので、「ヘーゲルの研究をしている」と言ったところ、「ヘーゲルか。危険だなあ。哲学はカントまでだな」と中曽根さんは応えたらしい。 さすが中曽根氏。その鋭い(!!)感覚に笑ってしまいました。あっぱれ!

でも、中易先生、無事就職できたんですね。


『君たちはどう生きるか』


 『世界』の名編集長だった吉野源三郎さんが亡くなられた頃で、もともとの日本小国民文庫版の『君たちはどう生きるか』(1937)を見せて頂いたりもしました。

私は、吉野さんが亡くなられて、この本の存在を知り、大学の図書館でポプラ社版の『君たちはどう生きるか』を読んだのですが、「あれはオリジナルとは少し違うから、ぜひオリジナルのものを読むように」と勧められ、オリジナルの復刻版が岩波文庫からそのころ出たので、それを再読しました。

文庫版には丸山真男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」が収録されています。

「この1930年代末の書物に展開されているのは、人生いかに生くべきか、という倫理だけでなくて、社会科学的認識とは何か、という問題であり、むしろそうした社会認識の問題ときりはなせないかたちで、人間のモラルが問われている点に、そのユニークさがある」(310ページ)と丸山さんは述べていますが、中易先生が説く倫理学もまた、そういう性格をもっていたと思います。

ファンタジーと哲学

先生は、ファンタジーも好きだったようで、エンデの『モモ』『はてしない物語』、ル・グィンの『ゲド戦記』などについてもよく語っていました。

「『モモ』は、面白いけど、マルクスについて悪口を書いているぞ」。  


今日、その箇所をやっと見つけました(怠け者の弟子をお許し下さい)。観光ガイドの若者、ジジの話に出てきます。  「〈赤い王〉とあだ名された世にも残虐な暴君、マルクスセンティウス・コムヌスのことはごぞんじでしょうが、この暴君は、とうじの世界をじぶんの考えどおりにつくり変えようとくわだてた人なのです。ところがどんな方法でやってみても、けっきょく世界はおんなじようなままでしたし、人間というものはそうかんたんには変わらないものだとわかっただけでした」(62ページ)

当時の社会主義国の実態からすれば、エンデの書いていることもわからないではない。  『はてしない物語』については、こんな話をしてくれました。

 「ファンタジーエン(空想の国)に虚無の侵蝕が始まっている。それを救うために必要なのは、このファンタジーエンに、現実から少年(バスチアン)が訪れることであり、そのことがまた、現実世界の虚無を救う…。これは認識論として重要だ」

人間の認識の源泉は現実世界にあり、現実と思想の行き来が弱まると、その両方の世界が危機に陥る。「はてしない物語」とはその永遠の交互作用のことなのだということでしょう。  

そして、ファンタジーエンの女王、幼ごころの君に新しい「名前」をつけることが重要な意味をもつのですが、「名前」については『ゲド戦記』について語ってくれたことを紹介しましょう。

 「名づけるということは、そのもののもつ本質をつかみだすことである。怪獣が登場して、すぐさま『ゼットンだあ』なんていうのは分かるわけがない。対象についての研究があって、初めてものごとの本質はつかむことができる」と中易先生。

 「たったひとつの名まえをつきとめる。ただそれだけのために、これまで何と多くのすぐれた魔法使いがその生涯をかけてきたことじゃろう。失われたか、また、あばかれぬかするたったひとつの名まえを明らかにせんとしてな」(『影とのたたかい ゲド戦記Ⅰ』76ページ)

 「そう、魔法使いの力にかなうものは、自分の身近なもの、つまり、すべてを正確に、あやまたずに、その真(まこと)の名で言い得るものにかぎられるんじゃ」(同78ページ)

 
 中易先生には、『やさしい哲学』(ペンネーム須賀三郎・学習の友社)という著書があります。

 「ぼくらがあるものを明らかにするには、まず、ほかのものから、区別する必要がある。いつもつながり(連関)とともにちがい(区別)を明らかにしないとだめだ。ーー区別と連関は弁証法的な考え方を身につけるうえで大切なことだ」(15ページ)と書いているが、まさに「真の名」をつきとめ、概念を規定することは同一と区別を明らかにすることによって可能となるのです。

対象変革が自己変革を引き起こし、自己変革が対象変革を…  

 思い出はつきませんが、最後に、ボクがノートに抜き書きして、ときどき読み返しては、自分を励ましてきた文章を紹介し、結びとします。  

「運動というのは、はじめから完璧なものはなにひとつとしてないのも事実だ。運動の運動たるゆえんは、いままでになかったものが生成する点にある。

ダメ男とダメ女の連合というみばえのしない運動であっても、ただ一点、未来を支える次代者を人間へと生成させようとするベクトルで結ばれ、自分自身を例外者の高みにおかない決意さえあるならば、運動そのものの論理によって、

すなわち、対象変革は自己変革をひきおこし、自己変革はまた、対象変革にはねかえるという論理によって、たとえ最初は社会の一部に限定されたささやかな運動であろうとも、この運動の過程のなかで運動者自身が自己を真に民主的、人間的に改造することができ、こうした人間たちの連帯運動は、人類の未来を背負う逞しい次代を出現させるであろう。

小さな運動の流れが各地でつぎつぎ合流しながら、相互に経験を交流して大河になってゆくとき、解決不能にみえた問題も解決可能な形態で開示されてくるだろう。

(中易一郎「社会の鏡としての非行とその克服」『唯物論研究』第5号,1981、 より)


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子ども・子育て新制度とは  全国保育合研に参加して(3)

●児童福祉法24条1項を活かす

第2講義は、鹿児島大学教授の伊藤周平氏が「保育の利用手続きと児童福祉法24条1項を活かす道」について。
 現在の保育制度では、保護者が希望する保育所を市町村に申し込めばいい。申し込みから保育所入所まで一連の手続きで済みます。新制度では入所用件の審査と入所決定の手続きが分離。保護者はまず支給認定の申請をし、認定されれば保育の利用申込みをするということになります。

伊藤氏は、多様な直接契約施設・事業者が併存するなか、多くの保護者はこれまで通り保育所を選択するだろうし、保護者の保育所選択権は尊重されなければならない、と言います。

「そのため、たとえば、市町村が、利用調整の段階で、保育所利用しか希望していない保護者に、保育所以外の認定こども園などの希望を記さないと申込みを受け付けないとしたり、他の認定こども園などを利用するよう圧力をかけたりすることは、保護者の保育所選択権の侵害にあたり違法となる」

私たちには保育所を選ぶ権利があり、行政はそれを保障しなければなりません。その根拠になるのが児童福祉法24条1項なのです。

第3講義は元帝京大学教授の村山祐一氏が「新制度の給付と公定価格」について。保育所の運営費は市町村が徴収する保育料と公費からなっています。ところが認定こども園は、親への給付金(公費負担、園が代理徴収)と園が徴収する保育料になります。委託費という性格を失う。認定こども園の財政は安定さを欠き、市場に委ねられます。保護者からみると、保育所に預けるか、認定こども園に預けるかによって公的支出の受け取りが違うという格差が生じるのです。

第4講義は京都華頂大学の藤井伸生氏が「市町村に向けて求めること」。福祉要求運動をすすめる京都市実行委員会が、市に求めた要望項目が紹介されました。

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子ども・子育て新制度とは  全国保育合研に参加して(2)

●施設と事業が乱立 公的責任を投げ捨てる

当初の計画では、保育所も幼稚園もひとまとめにして「総合子ども園」にする予定でしたが、そうならなかった結果、多様な施設と事業がつくりだされることになりました。

施設型給付は、保育所、幼稚園に認定子ども園の3つですが、認定子ども園には、幼保連携型、幼稚園型、保育所型、地方裁量型というバリエーションがあります。地域型給付には小規模保育(6~19人)A型・B型、家庭的保育(~5人)、居宅訪問型保育、事業所内保育と5種類も()。「13の首をもつ保育」ですね。

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今までであれば公的な保育と認められないようなものを保育制度に取り込み、待機児解消につなげたいということなのでしょう。プロによって担われるべきものを素人で済まそうというもの。介護保険がの要支援1,2を保険給付から外して、地域のボランティアに担わせようとしているのと同じです。  

保育関係者の運動で24条1項が残り、保育所は存続したものの、政府のねらいは、権利性の高い保育所を減らして、公的責任のない「認定子ども園」を増やすことです。そのために、あたかも保育所には教育がないかのような誤った情報を流し、認定子ども園が「質の高い」教育をするかのように宣伝しています。

しかし、豊かな遊びと生活を保障し、能動的な学びの基礎をつくるのが保育。「認定子ども園」を特別扱いさせず、保育所も幼稚園もこども園も充実させることが大切です。

そのためには、保育の基準と条件の改善が必要で、公的支出を増やすことです。図1にあるように日本はOECD諸国のなかで公的支出がきわめて低い。他の国は、一般的な家庭の家計の3割から2割に当たる額を保育園と幼稚園に支出していますが、日本は1割にも届いていません。これをさらに安上がりにしようというのですから驚きですね。

新制度が施行されるなか、児童福祉法24条1項に基づく公的保育を守り、充実させて運動を強めていかねばなりません。

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子ども・子育て新制度とは  全国保育合研に参加して(1)

●分かりにくいぞ「新制度」

 8月2日~4日、第46回全国保育団体合同研究集会(全国合研)が開催されました。最大の関心は「子ども・子育て支援新制度」がどのようなものであり、保育園と子どもをめぐる状況がどのように変わるのかということ。3日午前、講座「新制度の概要と問題点-施行前にすべきこと」に参加しました。660人が参加し、大教室が満杯。この新制度は来年4月から実施されることになっていますが、きわめて分かりにくい。制度の全体像をつかもうと多くの方が参加されたのだと思います。

第1講義は、保育研究所の逆井直紀氏の「新制度の概要と問題点」について。新制度は多くの問題点をかかえ、保育とは何かが問われてるといいます。新制度のモデルは介護保険であり、保護者と施設が直接契約することを基本にしたしくみになっています。市町村は現金給付=利用料補助をするだけ。子どもを預ける適当な施設がなければそれまで。保育の公的責任は著しく後退し、親の自己責任となります。 この方向に全体が揃っていればそれなりに分かりやすい。でも、分かりやすいってことはそれだけ酷いってことなんですが。

この制度を「分かりにくく」させたのは、保育運動。分かりにくくはなったが、もちろん、いいことです。2012年、国会に提出された新制度法案は、児童福祉法24条1項を削除し、保育所を「総合こども園」に移行させることが柱になっていました。これに対する猛烈な反対運動があり、自公民3党による協議を経て、24条1項は復活。保育所は守られました。「総合子ども園」の創設も見送られ、かわりに「認定こども園」というものをつくるが、移行は強制しない、ということになったのです。

復活した24条1項とは「市町村は、……児童の保育に欠けるところがある場合において、保護者から申込みがあつたときは、それらの児童を保育所において保育しなければならない」というもの。市町村に保育の実施義務を課し、保護者と児童の権利を保障しています。ですから、この条文が残った意義は大きい。

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広島 秋から冬にかけての学習会・講演会

秋から冬へ 憲法関係の学習会・講演会です。

▼10月4日(土)午後2時~ 戦争をさせないヒロシマ集会 講演 大江健三郎
 主催 戦争をさせないヒロシマ1000人委員会、協力 広島県9条の会ネットワーク
参加費 999円 広島市文化交流会館(旧・厚生年金会館)

▼10月5日(日)午後2時~ 憲法9条を守る音楽と講演のつどい
 主催 呉九条の会連絡センター 講演 アーサー・ビナード
 資料代 500円 ビューポート呉3Fホール

▼10月5日(日)午後2時~ 九条の会・はつかいち総会
記念講演 教育から憲法を考える 松田正久(前愛知教育大学学長)
主催 九条の会・はつかいち
 参加費 800円 廿日市商工保健会館交流プラザホール 1F

▼10月12日(日)午後1時30分~4時30分 子どもの本・九条の会 広島
 講演 森村誠一/アーサー・ビナード
 主催 子どもの本・九条の会 広島
 参加費1400円(当日1500円) 中国新聞7Fホール

▼10月26日(日)午後2時~ 今こそ9条
 松元ヒロ(コメディアン)&寺澤有(ジャーナリスト)
 主催 ひろしま医療人・九条の会
 参加費無料 ひろしま医療人・9条の会

▼11月3日(月・祝)ひろしま・憲法のつどい 
 講演 災害と日本国憲法 津久井進(弁護士)
 主催 広島県9条の会ネットワーク
 参加費 999円 広島市青少年センターホール

▼12月6日 秘密法一周年(集会・デモ) 詳細は未定

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土砂災害の向こうに政治の貧困がみえる(3)

●生活再建支援を早く

阪神淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)、その後も全国各地で自然災害が起きています。それなのにどうして、こうも対応は後手後手なのでしょうか。

日本にも「災害救助法」があり、避難所、炊き出し、物資提供、仮設住宅、障害物除去、遺体の埋葬について規定しています。条文の少ない簡素な法律です。機動的・弾力的な運用をするためには、あまり細かいことまで決めない方がいいからです。

しかし、実際には硬直的な運営がなされてきました。「食料費は一人一日1010円以内、避難所設置費用は一人当たり一日300円以内、避難所の開設期間は7日以内、被災者の救助は3日以内、仮設住宅の費用は一戸あたり238万7000円」(津久井進『大災害と法』岩波新書)。東日本大震災が起きた2011年の基準です。被災者は救われない。

アメリカ合州国にはスタフォード法という災害対策法があり、生活助成、住宅の確保、がれきの撤去などが迅速におこなわれます。

医療・食料・消耗品の供給、仮設住宅の提供、家賃補助、住居補助補修費の支給、個人の建物補修に最高20万ドル、家財の補填のために最高4万ドルの低利融資、最高22500ドルの個人・家族援助金……。

1ドル=100円なら225万円ですが、購買力平価(どのくらい物が買えるのか)を加味すれば300万円から400万円ぐらいをポンとくれるのです。それだけあれば当面の暮らしには困りません。アメリカのことをすぐまねしたがる日本政府ですが、この法律だけは全然まねようとしません。

安倍首相は、集団的自衛権を閣議決定した7月1日の記者会見で「いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく。内閣総理大臣である私にはその大きな責任があります」をはじめ、わずか10分のあいだに「国民を守る」と7回も言いました。

今回の災害を知っても、2時間近くもゴルフを続けた安倍首相。国民の命など眼中にないという本性がくっきり。誰かが「政治家は何を言っているかではなく、何をするかで判断すべし」と言ってましたが、まさにその通りですね。

(おわり)

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土砂災害の向こうに政治の貧困がみえる(2)

●自然破壊が背景に

第三に、人工林の荒れです。日本の国土の7割近くが森林で、世界有数の森林国です。人工林が4割を占めています。木材消費量の8割弱が輸入材。日本は林業を保護・育成してきませんでしたので、人工林は荒れ放題。

 「人工林は、放置され間伐が遅れると、木が込み合い、日光が林内に入らず、下草が育たなくなります。落ち葉や下草から作られる土壌が貧弱になると、林地に表面侵食が起き、土砂崩れが起きやすくなります。森林の洪水緩和機能も、土壌が「落ち葉や下草つき」で豊かでなければ発揮されません」(「水害の多発からニッポンの森林を考える」WEDGE2011年07月31日)

人の手が入っていない人工林はもろく、国土保全機能は著しく低下しています。

第四に、今回のようなゲリラ豪雨が頻発する背景に地球温暖化がある、ということです。温暖化を引き起こしているのは温室効果ガス。日本は世界第5位の排出国です。

2009年に「2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で25%削減する」と国際公約したものの、福島原発の事故を口実にこの目標を撤回してしまいました。火力発電が温室効果ガスのほとんどを占めているからです。バイオマスや地熱、小水力など再生可能エネルギーへの転換を図ってこなかったことに問題があります。

もちろん、日本だけの問題ではありませんが、「先進国」として再生可能エネルギーへの転換を推進し、途上国にその技術を普及し、資金を援助することによって地球的規模で温暖化にブレーキをかけることができたはずです。
 

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土砂災害の向こうに政治の貧困がみえる(1)

豪雨による甚大な被害

8月20日未明、広島市内を襲った記録的な豪雨。豪雨による土砂災害では過去最大規模の甚大な被害をもたらしました。9月4日現在、死者72人、行方不明が2人。避難所での生活を余儀なくされている人は、414世帯、857人です。

8月27日、安佐南区八木8丁目に支援に入りました。大きな石が上流から流れてきており、いかに水の勢いがすごかったのかが分かります。家の中に入り込んだ土砂は、1メートル以上の高さに。かんたんに天井に手が届きました。このうずたかく積もった土と岩をかき出して、バケツリレーで離れたところに移す。これが私たちの仕事です。

家の外は電線に頭がぶつかりそうなくらい土砂が堆積。この土砂を取り除くのは重機でなければ無理でしょう。みんなで力をあわせて奮闘しましたが、泥の排出は遅々として進みません。

●天災であるとともに人災

このような災害がなぜ起きたのでしょうか。天災(自然災害)であることは当然ですが、人災(社会災害)でもあると思うのです。4点ほど指摘したい。

第一に、無計画な開発です。宅地開発は民間業者まかせで、規制らしい規制がほとんどない。だから、本来、建ててはいけないようなところに家が建っている。広島にかぎりませんが、乱開発によって、山の斜面にはいつくばるように家が建ち、団地になっています。集中的な豪雨が降ればどこが崩れてもおかしくないのです。

第二に、広島県の砂防予算です。1994年からほぼ98年まで170億円の砂防予算がついていました。99年に大雨による土砂崩れがあり、この年は330億円。2000年は200億円で、そこから右肩下がりで減少。2012年には80億円まで減ってしまいました。その一方で高速道路をつくる予算は11年から14年で1650億円。一年あたり410億円です。山を削り、海を埋め、高速道路をはりめぐらすためにお金をつぎ込む。県民の安全のための予算はけちる。こういう県政、そして国政、市政のあり方が被害を甚大にしたといえるでしょう。

                             (つづく)
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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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