パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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上田耕一郎著作集第6巻

10月11日付「しんぶん赤旗」に上田耕一郎著作集第6巻の広告が掲載されました。三つの論文が収録されていますが、「『ブッシュ戦争』と『核・軍事的帝国主義』論」は、わが広島県労働者学習協議会が2001年に上田さんを呼んで広島県民文化センターを満杯(550人)にした大学習会での講演がもとになっています。

 膨大な著作のある上田さん。わずか6巻の著作集の1編を飾ることができて光栄です。上田さんのようなアジテーターになることが目標だなあ。講演が終わったあと、うがいをしながらぜいぜいと息をはずませていた上田さんの姿が目に浮かびます。謝謝。

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以下は、当時ニュースに書いた上田さんの紹介文です。国会議員は引退されていたので、若い人は「知らない」という反応もあったりして…。いま読み返すと、中野時代の市民運動のことは書いてないなあ。



名前は、雲輔(くもすけ)になるところだった

 「ぼくが生まれたとき、おやじは、神奈川県茅ヶ崎市に新しくできた雲雀(ひばり)ヶ岡児童の村小学校という自由教育の私立小を開校して校長をしていたわけなんですが、その「雲雀ヶ岡」の「雲」をとって「雲輔」としたんですね。そしたら、おふくろがね、結婚してからはじめておやじに反対したというんですよ。「雲輔」では大きくなってからあんまりかわいそうだ(笑い)、といってね。それでようやく耕一郎と、今の名前におちついたわけです」(植木等さんとの対談から)

●不破哲三さんは弟

 日本共産党の議長、不破哲三さんは上田さんの実弟。なぜ苗字が違うのか? 不破さんは実はペンネームで、本名は上田建二郎。鉄鋼労連の書記をしながら、共産党の理論活動をしていたので、ペンネームが必要だったようです。
 「どこかぼくの方がヤンチャ坊主風でしたでしょうなあ。弟はとにかく小さいころから本が好きで、小学校一年生にあがるときには6年生の教科書の半分は読めるような子でした。……大変仲がよくて、けんかしたのは小学生のころに一度くらいかな」(井上ひさしさんとの対談から)

 プライベートでは建ちゃん、耕ちゃんと呼び合っているとか。
『マルクス主義と現代イデオロギー』(1963年、大月書店)は上田さんと不破さんの共著。 

●カラオケは苦手

「上田さんはカラオケなどおやりにならない?」
「それがだめでしてね。うちの息子が一時期井上陽水の歌にこりまして、『氷の世界』なんてしょっちゅうかけていたもんですから覚えちゃったんですよ。それでなんかの集まりのときに『心もよう』を歌ったんです。そしたら『上田さん』、それはお経ですか(笑い)」(ジェームス三木さんとの対談から)

●マンガは上手い

「僕も療養していたころ、漫画で食ってたことがあるんですよ」
 「漫画でですか」
 「『毎日小学生新聞』に紹介されて四コマ漫画から連載ものに進んだんです。そしたら漫画映画の人が会いたいといってきましてね、どうも僕を漫画映画の世界に引っぱり込みたかったらしいですよ」(同上)

●『国会議員』(98年まで4期24年)

 上田さんは74年から引退する98年まで参議院議員。必ず、現職が一人落ちるといわれている激戦区、東京地方区で一度も落選せず。国会での活動は1999年平凡社新書から『国会議員』(平凡社新書)という本にまとめられています。「野党議員として24年、その緻密かつ鋭い舌鋒で歴代総理・大臣らを追いつめた論客が自らの軌跡をドキュメントタッチでつづりながら、国会議員がなすべき仕事は何か、国会はどうあるべきかを痛烈に訴える。政治不信など甘えてはいられない。日本の政治のあり方を考え、今こそ国会の機能を甦らせることを問う、注目の書」(カバーより)。

●資本主義のもとでも戦争はなくせる 戦争違法化の時代

 日本共産党の第22回大会は「独立・中立を宣言した日本が、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、道理ある外交によって世界平和に貢献するならば、わが国が常備軍によらず安全を確保することが、常備軍によらず安全を確保することが、わが国が常備軍によらず安全を確保することが、21世紀には可能になるというのが、わが党の展望であり、目標である」と述べています。これは上田さんが97年の人民大学で提起したものです。

 上田さんはいいます。「マルクス・エンゲルスの時代は、搾取の廃止が戦争絶滅の大前提でした。いまは、発達した資本主義国で、搾取が廃止される前でも、全人類の民主主義的な任務として戦争を防止する、戦争をなくすということが提起され、かつ可能になっている時代ではないでしょうか。帝国主義時代、核時代というのはそういう時代です」(『変革の世紀』新日本出版社p.96)

 今回の講演ではこの提起を軸に縦横に語ってもらおうと思っています。
ちなみに今回の演題「21世紀を平和の世紀に」は『経済』2月号、3月号掲載の論文のタイトルを拝借したもの。事前に読んでおくと講演が深く理解できます。

●なぜ日本共産党に入ったのか 侵略戦争に反対した党、科学的社会主義の理論との出会い

 「私は終戦の翌年、1946年12月に入党して一高(現東大教養部)に党組織をつくりました。この道をと心を決めさせたのは、なんといっても2000万のアジアの人々を犠牲にしたあの侵略戦争に反対し抜いた政党と人間が日本にいたという、戦後初めて知った真実でした。もう一つは、人間の尊厳をおかすすべてのものと、勇敢に組織的にたたかわなければという理論、科学的社会主義にはじめて出会った感動でした」(パンフレット「私の国会報告」92年より)


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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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