パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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海外派兵なき集団的自衛権??

 8月31日、広島弁護士会主催シンポジウム「中国脅威論と憲法改正問題」に参加した。基調講演は浅井基文さん(元広島平和研究所所長)、パネルディスカッションに浅井さん、坂元一哉さん(大阪大学大学院法学研究科教授)、水島朝穂さん(早稲田大学法学学術院教授)という豪華メンバー。

 得ることの多いシンポジウムであったが、「解釈改憲派」の見解を坂元さんから直接聞くことができたのがとりわけ収穫であった。

 坂元さんは2007年から2008年まで、日本の集団的自衛権保持の可能性について考える安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員を務めている。彼はの立場は、「日本の平和と安全の基盤である日米同盟を維持強化していくために、日本は集団的自衛権の行使ができるようになるべきである。ただ、そのために憲法九条を改正する必要はない。その解釈の是正で十分である」というものである。

 「集団的自衛権」とは分かりにくい言葉だが、自国が攻撃されていないのに、自国が攻撃されたとみなして、同盟国とともにたたかう「権利」をいう。「自衛権」というが実質は「他衛権?」なのだ。他国を守る権利などというのはおかしいので、「集団的自衛権」なる言葉にしたのだろう。

 坂元さんは、日米同盟は、「物と人との協力」であり、「『人』を出すほう〔アメリカ〕は、自国の若者にリスクを負わせるわけですから、そのリスクを負わない相手〔日本〕をあまり尊敬せず、『物』を出すほう〔日本〕は、その不便とコストを理解しないように見える相手〔アメリカ〕の態度を、いかにも面白くなく感じがち」だという。だから、日本も人を出して、「人と人との協力」にしたらいいのだというわけだ。

 しかし、アメリカは現在でも在日米軍基地によって多大な利益を得ている。

 シンポで配付された資料、坂元さんの著書『日米同盟の難問』(PHP研究所)に、安保条約締結に携わった外務省の西村熊雄条約局長のことをが出てくる。

 「西村局長がいいますように、この条約はたしかに相互的(あるいは双務的)でございます。日米は互いにそのギブ・アンド・テイクに納得したからこの条約を結び、一九六〇年の改定をへて、半世紀以上続いているわけであります」

 西村熊雄さんの『日本外交史27サンフランシスコ平和条約』にはまったく反対のことが書かれている。

 「安全保障条約に基づいて日本に駐在する合衆国軍隊をどう規定するかは安全保障に関する日米間の交渉で終始重要な問題として取り扱われてきた。
 …(略)…先方は安全保障に関する条項のあとに駐屯軍隊の特権・免除に関する詳細な条項を付け加えた条約案を提出したのであった。わが方はこれに対し安全保障条約のように高度に政治的な条約は簡潔な文書であることが重要であって駐屯(ちゅうとん)軍の特権・免除を羅列(られつ)するがごときは政治的効果を減殺(げんさい)し策(さく)を得(え)ないのであり削除すべきであると反対し、先方がこれに同意して安全保障条約と行政協定の二本立てなった次第である」(327頁)
 
アメリカは、日本のどこにでも基地を置くことができる(第2条)。「日本国は、合衆国に対し、安全保障条約第1条に掲げる目的の遂行に必要な施設及び区域の使用を許すことに同意する」。まったく制限がない。だから、これを全土基地方式と呼んでいる。

基地返還にあたっては、原状回復する義務はなく、補償する義務もありません(第4条)。汚染物質や弾丸などまき散らし放題。

 米軍の日本国内での行動は原則自由(第9条)。ビザはもちろんパスポートもいらない。外国人登録もいらない。

 自動車免許もアメリカのものがそのまま有効(第10条)、基本的に関税免除(第11条)日本国内の税金も免除(第12条、13条)。

 米軍の施設は「日本国の規制、免許、手数料、租税その他類似の管理に服さない」(第15条)。日本の法律は適用されない。

 米兵の犯罪に対して裁判権がない(第17条)。日本の警察は逮捕することはできるが「ただちに合衆国軍隊に引き渡さなければならない」(同)。

 さらには共同作戦条項といって「日本区域において敵対行為又は敵対行為の急迫した脅威が生じた場合には、日本国政府及び合衆国政府は、日本区域の防衛のため必要な共同措置を執」(第24条)ることまで決められている。日本の防衛でなくて日本区域の防衛であることに注意。要するに、在日米軍基地が攻撃されたときに共同で対処するということなのである。

 このように、アメリカにとって都合のいいことばかりの内容。条約局長の西村熊雄さんも「こうして協定を通読すると、日本ばかりがgive and giveすることになる印象を強める」(366頁)と嘆き、特に刑事裁判権について国会と国民から非難を浴びせられた、と書いている。

 西村さんは「ギブ・アンド・テイクに納得」なんかしていない。

 アメリカは現状でも十分利益を得ている。さらに日本の青年の命も差しだせ、米兵の代わりに闘って死んでくれと言っているのだ。「若者にリスクを負わせる」というのはそういうことであろう。

坂元さんは、集団的自衛権と海外派兵の問題を分けるべきだという。

 「日米同盟の維持と発展のために、海外派兵をともなわない集団的自衛権の行使を積極的に認めるべき」と主張するが、自国が攻撃されていないのに戦争する権利が集団的自衛権なのだから、「海外派兵をともなわない」ことなどあろうはずがない。「憲法の平和主義を大切にしたい」という坂元さんの願いは集団的自衛権が合憲とされたとたん裏切られることになるだろう。


 ※坂元さんの引用はすべて『日米同盟の難問』から。




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集団的自衛権行使容認「非常に難しい」 最高裁判事会見

前後したが、前内閣法制局長の発言についても載せておきたい。朝日新聞から


前内閣法制局長官の山本庸幸(つねゆき)氏(63)が20日、最高裁判事への就任会見で、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認について、「私自身は非常に難しいと思っている」と語った。憲法判断をつかさどる最高裁判事が、判決や決定以外で憲法に関わる政治的課題に言及するのは、極めて異例だ。

最高裁・山本判事の会見詳細憲法改正をめぐるトピックス
 山本氏は、解釈変更を目指す安倍内閣が、集団的自衛権の行使容認に前向きな内閣法制局長官を起用したため、最高裁判事に転じた経緯もあり、発言には政権内からの反発も予想される。ただ、最高裁内部では、「個別の裁判に関して見解を示したわけではなく、発言に何ら問題はない」と静観する見方が大勢。発言が進退問題に結びつく可能性はなさそうだ。

 この日の会見で山本氏は、「我が国への武力攻撃に対し、他に手段がない限り、必要最小限度で反撃し、実力装備を持つことは許される。過去半世紀、ずっとその議論で来た」と自衛権をめぐる解釈の経緯を説明。「集団的自衛権は、他国が攻撃された時に、日本が攻撃されていないのに戦うことが正当化される権利で、従来の解釈では(行使は)難しい」と述べた。

【田村剛】

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(朝日新聞社提供) 
最高裁・山本判事の会見詳細

最高裁判事に就任した山本庸幸氏の記者会見での主なやりとりは次の通り。

Q 憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、どう考えるか

A 前職のことだけに私としては意見がありまして、集団的自衛権というのはなかなか難しいと思っている。

 というのは、現行の憲法9条のもとで、9条はすべての武力行使、あるいはそのための実力の装備、戦力は禁止しているように見える。

 しかし、さすがに我が国自身が武力攻撃を受けた場合は、憲法前文で平和的生存権を確認されているし、13条で生命、自由、幸福追求権を最大限尊重せよと書いてあるわけだから、我が国自身に対する武力攻撃に対して、ほかに手段がない限り、必要最小限度でこれに反撃をする、そのための実力装備を持つことは許されるだろうということで、自衛隊の存立根拠を法律的につけて、過去半世紀ぐらい、その議論でずっと来た。

 従って、国会を通じて、我が国が攻撃された場合に限って、これに対して反撃を許されるとなってきた。

 だから、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、たとえば、密接に関係があるほかの国が他の国から攻撃されたときに、これに対してともに戦うことが正当化される権利であるから、そもそも我が国が攻撃されていないというのが前提になっているので、これについては、なかなか従来の解釈では私は難しいと思っている。

 しかしながら、最近、国際情勢はますます緊迫化しているし、日本をめぐる安全保障関係も環境が変わってきているから、それを踏まえて、内閣がある程度、決断をされ、それでその際に新しい法制局長官が理論的な助言を行うことは十分あり得ると思っている。





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第1次安倍内閣・内閣法制局長官も集団的自衛権 解釈変更に反対 

安倍内閣で内閣法制局長官を務めた宮崎礼壱さんが時事通信のインタビューに答えて集団的自衛権は、解釈改憲出認めることはできないと発言。安倍内閣のデタラメさがまた一人の良識人に声をあげさせた。



宮崎元長官インタビュー要旨=集団的自衛権

 宮崎礼壱元内閣法制局長官のインタビュー要旨は次の通り。

 -集団的自衛権について現在の考えは。

 憲法を改正しないと行使できないはずだという意見は全く変わっていない。

 -現行憲法で行使を容認するのは「難しい」のか「不可能」なのか。

 今までの政府見解は「できない」「極めて難しい」と両方言っているが、同じことだ。「難しい」と言ったら「少しできるのか」と思われるのであれば、「できない」と言った方が早い。

 -長官時代、当時の安倍晋三首相から憲法解釈見直しの具体的な指示はあったか。

 (内閣法制局の)今までの意見を変えるようにという職務上の命令なり、指示はなかった。法制局としては当時、首相の問題意識は承知していたので、緊張感を持ち、何ができるだろうかと検討したが、(首相には)「(解釈変更は)難しい」旨、お伝えしていたと思う。

 -首相は納得していたのか。

 「何とかならないか」と思っておられたと思うが、自分の鶴の一声で変えられる問題ではないので、(有識者による)「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を立ち上げ、理論的な武装の一助にしようと思われたと思う。

 -首相方針に抵抗したことはないのか。

 正面から辞めてやるというふうな形で抵抗したことはない。

 -国際情勢の変化は解釈変更の理由になるか。

 ものによる。あまり議論されたこともない憲法の条文がクローズアップされ、新しい解釈を打ち出すこともあるだろう。集団的自衛権の問題はそういうものと違い、歴代内閣が今まで繰り返し「できない」と言ってきた。自国が攻撃されていない時、他国を防衛するために、組織的に人を殺し、飛行場や橋や港を攻撃、破壊することはできないと言ってきたのを変えるような情勢の変化は想定しにくい。

 -第2次安倍内閣は憲法解釈の変更を目指している。

 (集団的自衛権の行使は)内閣が声明を出せば急にできるようになるというわけでなく、自衛隊法改正をはじめとする、もろもろの法改正をやって法的根拠を与えないと、実際には自衛隊に命令できない。(これらの法整備が)客観的に見て、もし違憲ならば、無効な法律ということに理論的にはなる。その法律自体が裁判所で、あるいは別の内閣ができた時に「違憲だ」とひっくり返るかもしれない。それにもかかわらず、そういうものに基づいて自衛隊が海外に行って、人を殺したり、物を破壊したりすることはとんでもない。

 解釈変更を法制局が阻止する権限はない。しかし、(法律上)ものすごく、根本的な不安定さ、脆弱(ぜいじゃく)性という問題点が残るという意味でやめた方がいいというか、できないと考えている。

 〔略歴〕
 宮崎 礼壱氏(みやざき・れいいち)東大法卒。70年検事任官。法務省参事官、内閣法制次長などを経て06年9月(第1次安倍内閣)から10年1月(鳩山内閣)まで法制局長官。同年9月から法政大大学院法務研究科教授。68歳。東京都出身。(2013/08/28-16:11)




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日本維新・橋下徹共同代表 「はだしのゲン」閲覧制限撤回は教育委員会の独立性否定?

●閲覧制限撤回は教育委員会の独立性を否定?

日本維新の会の橋下徹共同代表は、「はだしのゲン」の閲覧制限撤回について、 「メディアが騒いで教委の決定を覆した。教委の独立性を完全に脅かした。独立性はいらないと言ったに等しい」と批判した。

 これはまさに現行教育基本法の線にそった発言である。
 現行の16条は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」となっている。ほんとうは「教育は…」ではなく「教育行政は…」としたかったのだが、国民の批判、運動によって「行政」の文字は入らなかった。

 橋下共同代表はまさにこの条文をその意図通りに「教育行政は不当な支配に服することなく」と読んでいるわけだ。また、朝日、毎日を表向き攻撃しているが、本当のターゲットは国民世論。国民世論や反対運動の意見を聞くことが「不当な支配に服する」ということなのだということも、彼の発言ははからずも示している。

●旧教育基本法の精神は

 日本国憲法のまっすぐ結びついている旧(1947年制定)教育基本法第10条では「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」となっていた。教育基本法の解説書(1947年刊)は10条が生まれた経緯と精神について次のように解説している(民主教育研究所から『いま読む「教育基本法の解説」』として2000年に復刻)。

「この制度〔戦前の学制のこと 二見〕の精神及びこの制度は、教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂には時代の政治力に服して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であった。……このような教育行政が行われるところに、はつらつたる生命をもつ、自由自主的な教育が生まれることは極めて困難であった」

 「『教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立』というのは、先に述べた教育行政の特殊性からしてそれは教育内容に介入すべきものではなく、教育の外にあって、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を置くべきだというのである。『教師の最善の能力は、自由の空気の中においてのみ十分に現される。この空気をつくり出すことが行政官の仕事なのであって、その反対の空気をつくり出すことではない。』(米国教育使節団報告書)このような趣旨からして、視学の任務も従来のような監督指導ということから脱して『統治的または行政的権力をもたぬ、感激と指導を供与する、相談役と有能なる専門的助言者』というごときものにならなければならないと思う」(同)

教育行政は、教育内容に口出しすることなく、条件整備に専念しなさいというのが旧教育基本法の精神なのである。しかし、いま日本で進んでいるのは、教育内容に口出しし、条件整備はさっぱりという事態だ。旧教育基本法第10条へ立ち返ること求められている。

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安倍「軽ノリ」改憲に立ち向かう

7月21日、参議院選挙が行われ、予想通り自民党が圧勝。公明党とあわせて過半数を制しました。「厳しい情勢」であることはもちろんですが、その面ばかり見て悲観していては、それこそ改憲勢力の思うつぼです。

 安倍改憲には3つの致命的な弱点があり、運動しだいで阻止することは不可能ではないという点を見ておく必要があります。その弱点とは①改憲草案の中味のひどさ、②改憲のやり方(とりあえず96条裏口など)の姑息さ、③改憲に対する姿勢の不真面目さ・軽さの3つです。ここでは改憲に対する姿勢の不真面目さ・軽さについてだけ述べます。その軽さは3つの無知・無探究という点に現れています。

 第一は、「そもそも憲法とは何か」という点について。憲法は権力者に対して縛りをかけ、そのことをもって国民の権利や暮らしを守るためにあります。しかし、安倍氏とその周辺はこの点についてまったく意に介していません。国民を縛る自分たちに都合のいい憲法がつくれると無邪気に考えています。

 第二に、「日本国憲法とは何か」について。民主党の議員が予算委員会で「日本国憲法のなかで一番大切な条文として、個人の尊厳をうたい人権保障を包括的に定めた規定があるが何条か」と安倍首相に問いただしましたが、不快感を示すだけで答えられない。真摯な検討をせず条文をいじっていることが分かります。

 第三に、日本国憲法がなぜ平和憲法として出来上がったのかについて。改憲草案は、前文を全面的に書き替えています。前文の最大のポイントは「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすること」です。アジア太平洋戦争で「政府の行為によって」アジア2千万人、日本の民衆3百数十万もの犠牲者をつくり出しました。その反省のもとに日本国憲法が誕生したのです。この原点を反故にするとはあまりにも無頓着。

こんな不真面目・軽ノリ改憲に負けるわけにはいきません。


(「九条の会 はつかいち」News Letter)

 

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2013年長崎平和宣言を読む(11)

(5)東電福島原発事故の復興と高齢化する被爆者援護の充実。核兵器のない世界へ

第5段落には特段の説明はいらないと思いますが、山口仙二さんについて触れておきたい。山口さんは1930年生まれ。満14歳のときに爆心地1.1キロで被爆しました。山口さんは『115500平方㎡の皮膚』(みずち書房)という自分史を出しています。

 

一人ひとりの失った皮膚を、畳半分の広さだとしよう。長崎での死者は、1945年末までに7万人プラスマイナス1万とされ、負傷者もほぼ同数とおもわれる。すると、熱線に灼き亡ぼされた皮膚の総面積は、畳7万枚分およそ3万5千坪--11万5千500平方メートルに及ぶ。

 私の首はケロイドでくっつき、曲がらなかった。右の耳が溶けおち、水をのんでもこぼれるほど唇もかたむいていた。長崎と広島合わせて十数万坪のケロイドが、人びとを引き歪めた力のつよさはどれくらいになるのか。肉体だけでなく、それぞれの生き方にまで及ぼした歪みの深さは、いったいどうやって測るべきか。私には、見当もつかない。



 1955年、山口さんは長野の原水爆反対集会に被爆者として参加。13カ所3万人が訴えを聞いたと言います。

 私たちは、三千を超える人びとを前に、自分の体験を語ることなど、私たちにとってはじめての経験だった。自分がみじめになるので、できれば誰にも話したくはない。だが、長野のこの集まりは、個人の内側に閉じこめておく記憶のほかに、もっと広く、多くの人びとと共有しなければならない体験があるのだ、ということを私たちに教えてくれた。私をひらいてくれた

 

ここから山口さんの被爆者運動が始まりました。けして順風満帆でなかったその後のあゆみは自分史に譲ります。最後に、山口さんが1982年に国連軍縮特別総会(SSDⅡ)で訴えた演説(一部)を紹介し、「2013年長崎平和宣言を読む」のしめくくりとしたい。「核兵器による死と苦しみは、私たちを最後に」という被爆者の願い・訴えに必ず応えなければ、と思うのです。

 私は1945年8月9日、長崎の爆心地から1.1キロメートルの地点で被爆し、上半身に重い火傷を負い、ごらんのような傷だらけのからだになりました。私の周りには眼球がとび出したり、木片やガラスがつきささった人、首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若い母親、そして右にも左にも石ころのように死体がころがっていました。一瞬にして、戦闘員、非戦闘員の区別なくすべての人間、すべての生物・全社会、全環境が破壊されました。ヒロシマにつづいてこのような反人道的な絶滅破壊は、かつて人類史上起こったことはありません。その後40日間、私は高熱のため、生死の境をさまよいました。7か月後に退院した私の上半身はケロイドに掩(おお)われ、様ざまな病気に次つぎとおそわれました。思い余った私は幾度か自殺をはかりさえしました。

 広島と長崎では1945年12月末までに21万人が死に、うち90%は民間人でした。かろうじて生き残った被爆者たちに、今日でもなお突発的にガンや白血病などの晩発性障害が襲いかかることが少なくありません。加えて生活苦と精神苦痛はいっそう厳しいものになっており、到底言語に尽くすことができません

      略

私の顔や手をよく見て下さい。よく見て下さい。世界の人びと、そしてこれから生まれてくる世代の子供たちに、私たち被爆者のような核戦争による死と苦しみをたとえひとりたりとも許してはなりません。

 核兵器による死と苦しみは、私たちを最後にするよう、国連が厳粛に誓約してくださるよう望みます。 私ども被爆者は訴えます。生命のある限り私は訴えつづけます。
ノーモア ヒロシマ
ノーモア ナガサキ
ノーモア ウォー
ノーモア ヒバクシャ
ありがとうございました。


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2013年長崎平和宣言を読む(10)

②自治体の非核宣言を行動に移そう

 宣言は、もう一つ「できること」として自治体の非核「宣言を行動にうつす」ことを提案しています。

 「宣言」にもあるように、自治体の90%近く、正確には87.5%(1789自治体中1566自治体)が非核宣言をしています。日本非核宣言自治体協議会のホームページには、
協議会加盟の291自治体の宣言が掲載されています。日本列島の北と南から、北海道羽幌町と沖縄県竹富町の宣言を紹介します。

平和のまち宣言
真の平和を希求することは、人類共通の願いであり私たち町民は、この理想実現のため努力し求め続けていかなければならない。私たち町民は、今日の緊張した国際情勢を認識し、我が国の非核三原則の堅持はもとより、核兵器の廃絶を強く願うものである。ここに羽幌町は、恒久の平和を願い、幸せな町民生活を守ることを決意し「非核平和のまち」を宣言する。1984年12月13日 羽幌町

非核平和のまち宣言
 われわれは恒久の平和を願い、平和憲法において、すべての人類が平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 しかし、いま核兵器の限りない増加と拡散は世界の平和を奪い人類のあらゆるいとなみとしあわせを脅かして止まない。
 まちに子供の笑顔があり、働く者の喜びがあふれるくらしを願い、広場に若者の唄声が流れ、お年寄りのやすらぎのあるくらしを望む立場から、竹富町民はくらしと自由を守り、平和理念の達成を誓う日本国民として世界の人々と手をつなぎ核を保有するすべての国に「ただちに核兵器を廃絶せよ」とつよく訴え、ここに非核平和のまちづくりに邁進することを全世界に宣言する。昭和62年3月24日 竹富町

 まず、役場の担当課を訪ねることから始めたらいいのではないでしょうか。自分の住んでいるまちでどのようなことが取り組まれているのかを知り、非核宣言にふさわし取り組みが広がるためにはどうしたらいいのかを考える。「協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします」と言ってくれています。協議会には全国のさまざまな経験も寄せられていることでしょう。非核宣言を行動にうつす取り組みが全国で広がれば核兵器をなくす大きな力になるに違いありません。


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2013年長崎平和宣言を読む(9)

●戦争体験、被爆体験を語りつぐ 


宣言は、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことの重要性を次のように述べています。

かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

なぜ、修学旅行の地として、広島や長崎、沖縄が選ばれるのでしょうか。その意味は「死者と連帯することにある」と教育学者の竹内常一さんが次のように述べています。

「生きる」ということは、「死者」の願いや恨みを引き受け、死者と連帯して生きるということではないか。広島や長崎や沖縄に修学旅行をおこなうのは、この「死者」たちの願いや恨みを引き受け、「死者」と連帯するためではないのか。それなしには私たちの歴史というものがはじまらないからではないか。(竹内常一『子どもの自分くずし、その後』太郎次郎社)

竹内さんは「『死者』と交流し、『死者』と連帯することのない『生者』とは、生きている『死体』ではないだろうか」といい、私たちが人間らしく生きるためには、「死者との連帯」が不可欠だと提起しています。

 この点について、上原専禄さんの『死者・生者』を参照するように書いてありました。上原さんは、「死者」と「生者」との共存・共生・共闘するという考えは、現実を認識するための方法であるとともに現実を救済する原理でもあるといいます。

 

アウシュビッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち、その前に日本人が東京で虐殺した朝鮮人、南京で虐殺した中国人、またアメリカ人が東京大空襲で、広島・長崎で虐殺した日本人、それらはことごとく審判者の席についているのではないのか。そのような死者たちとの、幾層にもいりくんだ構造における共闘なしには、執拗で頑強なこの世の政治悪・社会悪の超克(ちょうこく)はたぶん不可能であるだろう。(上原専禄『死者・生者』未来社)


死んだ人の声を聞くことは、実際にはできません。しかし、その手がかりはあります。『原爆の子』の編者・長田(おさだ)新(あらた)氏は「序」で次のように言います。

 

永久に生きてかえることのない人々がその最後の訴えを、この生き残った人たちの口を通じて叫んでいるのではないか。生き残った人たちは、今はもう語ることのできない人々に代わって、またその人々と共に、訴えているのではないか。(『原爆の子』上、岩波文庫)

 生き残った被爆者の証言、手記、遺跡や碑、そして、文化・芸術となったヒロシマ、ナガサキから、私たちは「死者の声」を聴きとる必要がある。虚心に死者の声を探し出そうとすること。そして、私たちがそういう作業を通じてどれだけ多くの死者と連帯できるかが、生者を死者へと追いやった原因を取りのぞき、いまを生きる世界の人びとと連帯できるかどうかを決めるのです。

宣言は、とりわけ若い世代に呼びかけています。

 

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

あなたたちこそが未来、そう未来なのです。

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2013年長崎平和宣言を読む(8)

(4)核兵器のない世界へ 私たち一人ひとりができること

 第四段落は、核兵器のない世界の実現に向けて「私たち一人ひとりにもできること」があるとし、2つのことを提起しています。一つは「戦争体験、被爆体験を語り継ぐこと」であり、もう一つは、自治体の非核宣言を行動に移すことです。

①被爆者の声を聞こう、そして考え、話し合おう

●日本国憲法にこめられた平和の希求
 

冒頭で、「日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています」といい、前文から「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」が引用されています。

 この句は、日本国憲法の原点です。敗戦後、新しい日本をつくるうえでの固い決意、二度と戦争はしない、戦争はもうごめんだという国民の思いが込められています。前文は、この決意を現実のものにするために、新しい考え方を打ちだしました。

 第一は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」という安全保障の考え方。第二は、「平和に生きる権利」、「平和的生存権」です。

第一の点は、「他国に平和を委ねるもので無責任だ」などと批判されていますが、その批判は当たっていないと思います。憲法が信頼を寄せているのは、「諸国家」ではなく、「諸国民」、世界の国の人びとです。彼らもまた第二次世界大戦の惨禍を経験し、戦争はもうごめんだと思っている。平和を愛す彼らの公正と信義(誠実さ)を信頼し、ともに平和をつくっていこうというのが憲法の立場です。

 第二の「平和に生きる権利」は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と前文にあります。憲法は、この「全世界の国民が、ひとしく」「平和に生きる権利」をもっているという。日本国憲法は「一国平和主義」で、日本が平和であれば、他国のことはどうでもいい、なんて悪口を言う人がいるけど、とんでもありません。むしろ、日本国憲法の精神に基づく努力が足りなかったというべきでしょう。

憲法前文は、全体としても平和な世界を実現するための処方箋、新しい時代の「政治的道徳の法則」(laws)を表明しています。
 
①政府の行為によって再び戦争を起こさないという決意。
②「人民の人民による人民のための政治」という民主主義の原則。
③世界の平和を愛する人びとの公正さと誠実さを信じようとする姿勢。
④独裁政治、奴隷状態、自由への抑圧、不寛容をなくし、平和な世界をつくろうという抱負。
⑤世界中のすべての人に、自由で、豊かに、平和に生きる権利があるという「平和的生存権」の思想。

 自民党の改憲草案はこの前文を全面削除し、第9条二項の戦力不保持、交戦権の否認も削って、国防軍の保持を明記しました。「平和を希求するという日本国民の固い決意」はみごとに消し去られています。




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2013年長崎平和宣言を読む(7)

(3)アメリカとロシアは核兵器廃絶を緊急課題とせよ

 第三段落に入ります。この段落では核兵器保有国、とりわけアメリカとロシアという核大国に対して核軍縮を求めています。

前半では、プラハで「核兵器のない世界」をめざす決意を示したオバマ大統領が今年6月にベルリンでもさらなる核軍縮に取り組むと表明したことに対して、その姿勢を支持すると述べています。と同時に、後半では、「世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのもの」だと指摘し、「もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組」むこと、核軍縮のスピードアップをを強く要望しています。

 核弾頭はアメリカ7700発、ロシア8500発、イギリス225発、フランス300発、中国250発。インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮なども核兵器を保有しているといわれています。アメリカとロシアが保有数を半減しても、それぞれ3850発、4250発です。オバマ氏は戦略核の三分の一を減らす(=三分の二にする)ことをロシアに提案しようと考えているようですが、この提案を実現するとともにさらなる核軍縮へと進まねばなりません。

 現代の核兵器は広島、長崎に投下されたものの数百倍の威力があります。逆から言えば、現代の核兵器の数百分の一ほどの威力しかなかった広島型、長崎型でさえ、恐ろしい惨状をつくりだし、今なお多くの苦しみを生み出しているということです。もし、今日、核兵器が1発でも使われれば取り返しのつかないことになる。ですから、「もっと早く、もっと大胆に」十分の一、百分の一へという飛躍的な核軍縮が必要なのです。

 宣言は、核軍縮のスピードアップを求めるとともに、「核兵器のない社会」、核兵器の廃絶を「人間が早急に解決すべき課題」とするよう求めています。「核兵器が二度とふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかって」おり、「核兵器が二度とふたたび使用されないことを保証する唯一の方法は、それらを全面廃棄すること」にあると「核兵器の非人道性を訴える共同声明」が述べているとおりです。

 共同声明は「核兵器の非人道性」、「核兵器使用のもたらす壊滅的な人道的結果」について次のように述べています。

核兵器の実際の使用ならびに実験は、これらの兵器の持つ甚大かつ制御不能な破壊力、そしてその無差別性がもたらす受け入れがたい惨害を十分に示しています。核兵器爆発のもたらす影響は国境で食い止められず、よってこれは誰しもにとっての重大な懸念事項です。爆発による即死や破壊のみならず、それは社会経済的な発展を阻害し、環境を破壊し、次世代から彼らの健康、食料、水、その他不可欠な資源(vital resources)を奪うものとなります。(長崎大学核兵器廃絶研究センター訳)

もっと早く、もっと大胆に核兵器を削減し、核兵器廃絶へと進まねばなりません。

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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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