パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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独立の日なんてとんでもない。従属の日です。

安倍晋三首相は3月7日の衆院予算委員会で、1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し日本が独立を回復したことを記念し、今年4月28日に政府主催の式典開催を検討していることを表明しました。

しかし、51年の9月4日にサンフランシスコ講和条約と同日、こっそりと結ばれた日米安保条約によって、独立は形式的なものとなり、発効した4月28日は新たなかたちを変えた従属・屈辱の日となったのです。

以下、拙著『ジョーカー安保』(2010年、かもがわブックレット)から該当部分を抜き出して紹介したい(平和条約と講和条約は同じものです)。 



 1951年秋に調印された「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約」は、日本を形式的に独立させつつも、実質的にはアメリカに日本を従属させるものでした。

 サンフランシスコ講和会議の受諾演説も、そういう本質にふさわしく屈辱的なものだったようです。吉田茂首相は主席全権として講和会議に出席し、受諾演説を読み上げます。吉田は英語でやるつもりでしたが、日本語でやるように指示されました。『回想十年』には次のように書いています。

 三千人以上の聴衆の中で、日本語の判るものが何人いるだろう?……誠に張合(はりあ)いがない。原稿読みに全体で20分もかかった。よほど、途中で原稿を飛ばしてしまおうかとも思ったが、結局最後まで嫌々我慢しながら読み続けたのである。
(吉田茂『回想十年』第3巻、新潮社、47ページ)

 「嫌々我慢しながら」読んだ本当の理由はほかにあります。演説内容がアメリカによって書き換えられたのです。こちらの方がよほど屈辱だったでしょう。アメリカ代表団の顧問でGHQの外交部長だったシーボルトがつぎのように事情を述べています。

 首相の個人的な秘書の松居明が私のところへ、演説草案の英文の写しを持ってきて、それを読んで、何か直したいところがあればいってくれないか、と頼んできた。誰が書いたか知らないが、とにかくそれはよくなかった。……この演説の調子と題目を変更するために、なんとかしなければならなかった。……必要なところには手を加え、聞き手を怒らせそうなところは削り、全体として言葉を洗練したものに変え、どうやらいい演説といえるところまで仕上げ、さらに吉田の発言に威厳を持たせるような調子に直した。
 (W・J・シーボルト『日本占領外交の回想』毎日新聞社、241ページ)
 
 すべてはアメリカの筋書きどおりにすすめられたのです。サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日、日本を含め49カ国が署名。しかし、この講和会議には、日本がもっとも長期にわたって戦争をし、もっとも多くの被害を与えた中国は招かれていないのです。朝鮮(大韓民国)も日本との間で交戦関係になかったという理由で招請されず、インドとビルマは参加を拒否。ソ連、チェコ、ポーランドは調印を拒否しました。

 サンフランシスコ平和条約が結ばれた日の午後5時、日米安保条約が調印されます。会場はサンフランシスコ湾に面する米第六軍司令部でした。

 ごく一握りの人しかこの安保条約を結ぶことを知らなかったのです。「この条約は、約8か月間、内密に交渉を続け、その原文は、この式典の始まるわずか2時間前に新聞に発表」されました(『日本占領外交の回想』243ページ)。日本人が知ったのは締結されてからなんですね。
 
 合衆国側署名者はアチソン長官・ダレス特使・ワイリーおよびヴァイリッジス両上院議員の四人であった。わが方では吉田総理一人署名した。池田・星野・一万田の三全権代理が列席した。苫米地・徳川両全権は姿をみせなかった。(西村熊雄『サンフランシスコ平和条約』日本外交史27、鹿島研究所出版会、305ページ)

 日本の全権は主席の吉田茂(首相)、全権委員の池田勇人(蔵相)、苫米地義三(国民民主党最高委員長)、星島二郎(自由党常任総務)、徳川宗敬(参議院緑風会議員総会議長)、一万田尚登(日銀総裁)という6人だったのですが、吉田首相一人しか署名していません。しかも2人は参加すらしていない※。

※欠席した苫米地はその著書『平和の灯』(和耕会)でつぎのように述べています。「安保条約の締結は、サンフランシスコ平和条約締結のさい、時の首相吉田氏が一人で取決められたものである。全権の一人として渡米したわたくしにも相談があったけれども、わたくしはこれを断った。その理由は事前審議もなく、出先で簡単に決められる性質のものではない。ましてこの条約は不平等条約だ」吉岡吉典『「日米同盟」と日本国憲法』105ページより重引。

 西村熊雄はその事情を「安全保障条約と平和条約と同じ土地で数時間後に調印されることとなったことに日本全権団の多くはある種の失望感を抱いた」と説明していますが、場所と時間だけでなく、その内容にも失望していたのだ、と私は思います。

 なにしろ、日本国民は、安保条約を結ぶことを知らされていない。

 サンフランシスコ講和会議は100人におよぶ各国代表団と3000人を超す聴衆のなかで開かれたのに対して、安保条約は陰でこそこそと結ばれたのです。

 「憲法を押しつけられた」という人びとは、けっして「安保は押しつけられた」と言いません。こんなにひどい状況で結ばされたにもかかわらず、不思議なことです。

 安保条約は、サンフランシスコ平和条約第6条a項に基づいてます。

第6条【占領終了】 (a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退しなければならない。但(ただ)し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若(も)しくは締結される二国間若(も)しくは多数国間の協定に基づく、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とんまたは駐留を妨げるものではない。

 前半を読むと、アメリカ占領軍は日本から90日以内に撤退することになっています。平和条約を結ぶということは戦争状態を終結することですから、当然、軍隊は出ていくのです。
 しかし、それを「但し」以降ですべてひっくり返す。そのままアメリカ軍が残れるようにしたのです。なんという欺瞞(ぎまん)的なやり方でしょう。


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講座派理論と「我々」の時代

いま、歴史学の師匠、中村政則先生の『日本近代と民衆』(校倉書房、1984年)を読み返している。この本に「講座派理論と我々の時代」という講演録があり、ボクはこの講演をナマで聞いたので懐かしい。

 今では「講座派」といっても何のことか分からなくなってしまっている。

 簡単にいえば、野呂栄太郎という優れたリーダーのもと、岩波書店から『日本資本主義発達史講座』にかかわった人、その後、「労農派」と呼ばれるグループとの論争のなかでつくられたグループのことである。来年(1984年)は、野呂栄太郎の没後80年にあたる。野呂栄太郎じしんが、『日本資本主義発達史』という本をだしている。(現在は岩波文庫と新日本出版社『野呂栄太郎全集』に収録)

 「講座派」について詳しくは『日本近代と民衆』を読んで欲しい。
 
 ボクがここで書きたいのは「我々の時代」の変貌ぶりのことである。中村先生は「はたして講座派理論と現代とをストレートに結びつけることができるかどうか」と問題提起している。この講演が語られ、書かれた1980年代はGNP世界第二位、ジャパン・アズ・ナンバーワンが喧伝された時代で、「講座派理論」を受け入れづらくさせている面が大きい」と書いている。事実そうだった。

 だから、先生は慎重に次のように言う。

「私は、講座派理論というのは、伝統的・前近代的なセクターなり要素が強固に残っているような社会を分析するとき、大きな威力を発揮する理論体系ではないかと思っています。日本人民の生活水準を低度におしとどめ、政治意識の成長を阻み、市民的個の成長を妨げている要因は何か、その歴史的根拠を解明することによって日本人民の解放をはかる、ここに講座派理論の歴史的使命 がありました」

 講演から30年の月日がたち、日本資本主義・日本社会は、ある面で、戦前へと先祖がえりをしているような気がしてならない。それは「伝統的・前近代的なセクターが強固に残っている社会」とは違う形相を示している。しかし、80年代の「豊かな社会」をへて、今日では「貧困社会」が生み出され、小林多喜二の『蟹工船』が共感をもって読まれる時代でもある。ストレートに結びつかないまでも、「講座派」理論と「われわれの時代」はかなり差がつまっている。

安倍晋三が二度も政権につき、戦前の日本を美化しつつ、アメリカに付き従ってゆくという状況だ。憲法を変えて「アメリカとともに戦争をしかける国」へと変貌させようとしている。

 大企業は多大な「内部留保」抱え込みながら、労働者の賃金・処遇・労働条件を切り下げている。ヨーロッパと比べても「特異・異質」な資本主義社会をかたちづくっている。

「日本人民の生活水準を低度におしとどめ、政治意識の成長を阻み、市民的個の成長を妨げている要因」を探ることは今日的課題でもある。

 「講座派」に代表される戦前のマルクス主義社会科学から学ぶことは「われわれの時代」にとって必須の要件となりつつあるのではないだろうか(哲学においては戸坂潤をリーダーとする「唯物論研究会」の業績も)。
 

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民衆の歌 2013 どすこい訳

映画「レ・ミゼラブル」に感激。なかで歌われた「民衆の歌」は1820年代のフランスを想定して、作られたものです。

2013年日本版をぶらざあ栗栖と作ってみました。

民衆の歌 2013 どすこい訳

1.
... 君に聴こえるか 人びとのうたが
ひそかに 燃える 深い怒り
君の心を 熱く震わせて
明日(あす)を祝おう 仲間たちよ

光を照らせ 暗い大地に
秘めた力と 明日を信じて
ともに未来 変えて進もう

君も気づくだろう 人びとのうたに
あきらめ乗り越え たたかう力
君と歌おう ドラム響かせて
平和と自由  そして希望を

2.
貧しき人よ 手を携え
痛みを分かつ 仲間信じて
ともに暮らし 変えて進もう   

君に聴こえるか 人びとのうたが
ひそかに 燃える 深い怒り
君の心を 熱く震わせて
明日(あす)を祝おう 仲間たちよ

ミュージカル日本版の訳はこれ

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優しく私たち問いかける映画 「ひまわり」

 在日米軍の墜落事故といえば、1977年の横浜緑区(いまは青葉区)にジェット機が墜落し、母親と2人の幼い子どもが亡くなった事件とつい最近(といっても8年前になるが)2004年に沖縄国際大学にヘリコプターが墜落した事故は記憶にあります。 

 しかし、1959年6月30日に、アメリカ占領下の沖縄・石川市(いまは合併して、うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落した事故は全く知りませんでした。児童11人、近隣住民6人が亡くなり、重軽傷者は210人。私は1963年生まれですから、その4年前の出来事です。
 
 映画「ひまわり」は沖縄国際大学と宮森小学校への墜落事故を重ねて描いています。 長塚京三演ずる、おじい(良太)、と沖縄国際大学生で、孫の琉一。おじいは宮森小学校で事故に遭遇しましたが、事故のことを語りたがりません。

 琉一は、ゼミ仲間とともに自分の大学で起きたこと、宮森小学校で起きたことについて調べていきます。学生たちの要請にこたえて、事故当時の宮森小学校の先生(おじいの担任)や同級生が「伝えねばならぬ」と証言。ゼミ生たちは事故について深く知っていくにつれ「何かをしなければならない」という思いにかられていきます。
彼ら、彼女らが何を思いつき、どうしたのか。そして、おじいは…。
 
 若者に対して不信が語られているなか、若者たちの苦悩と奮闘ぶりが描かれ、おじいの世代もそこへ期待をよせていく過程がていねいに描かれています。
 そこには山田洋次監督の「東京家族」と同じものが流れているなあ、と。

 1977年の横浜での事故も宮森小学校での事故も、パイロットはいち早く脱出して助かりました。「米軍が日本を守ってくれている」というのは幻想にすぎません。

日本のために米軍基地があるのではなく、米軍基地のために日本があるのです。
 米軍基地の集中する沖縄には苦悩もまた、集中しています。基地ある限り、事故、レイプ、殺人、暴力が繰り返される。

 この苦悩から抜け出すために、私たちは何をなすべきなのか、をこの映画は私たちに優しく問いかけています。きっとあなたも泣いてしまうはず。

公式ホームページ
 
広島では5月11日(土)から31日(金)まで横川シネマ(082-231-1001)で上映。
 17日までは、10:30から1回上映。18日からは①10:30②18:30の2回上映です。

 主催は「ひまわり」広島上映実行委員会 
 事務局/広島映画センター 082-293-1119
前売鑑賞券 一般1200円(当日1500円) シニア・学生1000円

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松井隆志さんの【ロング書評】反「反原発」論!?─「リアリティ」の内実について、を読んで

開沼博著『「フクシマ」論─原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)について、ピープルズプラン研究所のHPに掲載された松井隆志さんの【ロング書評】反「反原発」論!?─「リアリティ」の内実について、を国公労連の井上伸さんが昨日(3月13日)フェイスブックで紹介していて、書評を興味深く読みました。

 もともとの開沼著を読まず、書評を通じて何かを述べるのはいかがなものかと思いましたが、感想を2つ。
 
 ひとつは、ロング書評のサブタイトルにもあるように『「フクシマ」論』にはリアリティ(現実性)が欠如ないし弱いのではないか、ということです。

 少なくても、鎌田慧さんが足で歩いて書いた『原発列島』(集英社新書、2001年)を読んでいれば、ことはそう単純ではないことが分かります。

 自民党政治がつくり出した過疎の自治体に電力会社は膨大なカネをばらまき、施設をつくる。しかし、「巨大施設をつくってもらった自治体は、自己負担の起債分と施設の維持費で、財政パンクの危機に瀕する(鎌田著、197ページ)。また、反対運動をカネや接待で切り崩していったのです。
 
 「金の力で建設されてきたので、『金権力発電所』というのが、わたしの原子力発電所にたいする批判だが、これまでどれほどの策謀と裏切りをつくりだしてきたことか」(同)。 

もう一つは、責任の問い方、その軽重の問題です。

 松井さんは言います。

 「最も責任が重い者たちに向かってその責任追及を完遂することは、自分の責任を他人になすりつけることと同じではない。むしろ、二度と同じ過ちを繰り返さないため、あるいは自分の誤りを明確にするためにこそ、『犠牲のシステム』の切開とその責任追及を目指すのだ」

この文章を読んで、岩波現代文庫版の家永三郎著『戦争責任』に澤地久枝さんが書いた「解説 これからの課題」の、下記の部分をを思い出した。

 「この本では、敗戦時満14歳で植民地『満州』にいたわたしの『戦争責任』も免責されてはいない。私の戦後の原点は、己れが戦争中に身をおきかつ果たした役割の痛切な自覚にあるといえるかも知れない。しかし、『戦争責任』が女子供をふくめて広く広く問われているのに反して、昭和天皇の戦争責任についてはあまり力点がおかれていないと感じる。そのため、戦争責任の所在は求心的であるよりまとまりにくいものになっていないだろうか」(457ページ)

 開沼著も同じなのではないだろうか。

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再読・『安倍政権論』

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安倍政権についての本がもう出たのか、と思われるかもしれない。しかし、そうではない。この本は、安倍第1次政権を分析した渡辺治著『安倍政権論-新自由主義から新保守主義へ』(2007年7月に刊行、旬報社)である。第1次安倍政権は2006年に発足し、さまざまなスキャンダルにまみれたうえ、参議院選挙で惨敗。1年あまりで総辞職した(本人は病気のせいにしているが…)。

 本書でも述べられているとおり、安倍政権の特徴は、「憲法改正を政権の課題」とし、それを自分の任期中にやりとげると強力に打ち出した点にあった。
 この安倍政権が自民党史のなかで異例ともいえる再登板を果たし、いま私たちの暮らしを根本から脅かそうとしている。

 この第2次安倍政権の性格がどういうものなのかを知り、それといかにたたかうのかを知る上で5年前のこの本は決して過去の本ではない。

 第2次安倍政権について、渡辺治さんは、すでにいくつかの講演録、論考(たとえば「新段階の日本政治と憲法、アジア」『月刊 憲法運動』13年3月号)、「総選挙の結果と日本政治のゆくえ」『季論21』13年冬号)が出されているが、それらをより深く理解する上でも本書は役にたつ。

 本書は、「(保守支配層が求めた)軍事大国化と新自由主義改革の完成を委ねられて登場した内閣である」と安倍政権を性格づけ、副題も「新自由主義から新保守主義」へとしている。「新保守主義」とは、「新自由主義改革で拡大した階層間格差と貧困に起因した社会統合を……弥縫(びほう)すること」をめざすこと。そう「美しい日本」「日本を強くする」を呼びかけ、強要のもとに取り繕ろうとすることだ。
 私たちが再び直面している改憲の大波は、「二本建て戦略」をとっている、と渡辺さんは言う。一つは、改憲実行のための「クルマの両輪」を完成させること。もう一つは、明文改憲をめざしつつ、解釈改憲でも、アメリカとともに戦争ができる体制を整えることである。

 改憲のための『クルマの両輪』とは、第一に、96条を変え、改憲の発議を国会の両院における三分の二の多数の賛成から過半数の賛成へとハードルを下げることである。第二に、改憲手続法を制定することである。(これは内容だけでなくその投票年齢が決まっていないなど形式においても欠陥法であるが2007年に制定された)。

 もう一つの、明文改憲と解釈改憲を同時追求する路線である。
 安全保障基本法をつくることによって「『集団的自衛権』の限定的行使の道を開き、とりあえず米軍の軍事行動に対して今まで以上に深く関与する方途を探りつつ、明文改憲によって米軍のとの軍事共同作戦を全面解禁する枠組みをつくり、それを受けて、再度『安全保障基本法』の改正で全面的な米軍との共同作戦行動を規定しようというもくろみであろう」(83ページ)

規制緩和など市場原理主義を核とする「新自由主義」および、それによる社会統合の崩れを補おうとする「新保守主義」についてもぜひ本書を参照していただきたい。
 それらの路線が、自壊した民主党政権をへて、再登板した第2次安倍政権によってどのように引きつがれ、どのように変容したのか。

 この間、国民はさまざまな問題に直面し、新たな声を上げ始めた。
 本書が書かれたときにすでに動いていた「九条の会」((2004年)。貧困に対しては「派遣村」(2009年)に象徴される反貧困の運動。福島原発事故後の反原発の運動(2011年)。新自由主義的政策に対する反撃、TPP〔環太平洋経済連携協定〕に農協や医療機関の反対運動、2011年)、公的保育の破壊(待機児童の増加)に対して、「保育所をつくって欲しい」という母親たちの運動(2013年)。これらの国民的反撃をさらに大きく、強くするために、本書は刊行から5年を経た「今こそ旬」である。

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賃下げ・不安定雇用を合理化する城繁幸

 今朝のyahooのトップページを見ていたら、「局アナから始まる『終身雇用崩壊』という見出しが出ていた。

以下、その引用。

東洋経済オンライン 3月10日(日)6時0分配信

”局アナ”から始まる「終身雇用崩壊」

若年層に押し付けられる「世代間のツケ」が深刻になる一方で、「若者の未来を奪ってきた」終身雇用も崩れつつある。そんな時代を、若者はどう生き抜くべきか?  『若者を殺すのは誰か? 』の著者である、人事コンサルタントの城繁幸氏に聞いた

■ 雇用規制はすべて緩和するといい

 ──若者の存在感が薄くなってきていませんか。

 政策を決める側の視点に若者が入っておらず、また政策に対する若者の反応も鈍いので、そちらになかなか目が向けられない。一方で若者自身も前に出て自己主張することが少なく、どうしても存在感が薄い印象になる。

 ──働く場で軽んじられているからでしょうか。

 今、日本の政治システムも社会システムもカオスの状態で、これから新たな方向性がはっきりしてくるという気はする。

 ──ご自身は、ひたすら自由競争を求める立場ですね。

 ええ。たとえば雇用規制はすべて緩和するといい。正規、非正規のくくりをなくして、全員有期雇用契約にするのが理想だ。そのうえで、これからますます高齢化が進むので、基本的に消費税のような、全国民で負担する仕組みにしていく。そして、地方、地域はそれぞれ分立していくことだ。

 (略) 

  ――仕事がなければ、その移動も難しいのでは。

 そこで重要なのは、労働規制をどうするか、だ。これは多くの政党が政治課題と認識している。自民党は解雇規制の緩和をうたう。終身雇用を終わらせる後押しをしないとダメだからだ。この6年ぐらいの間に、流れとしても変わってきている。

 終身雇用を成り立たせているキーポイントは、生産性以下の賃金で満足してくれている優秀な社員がいることだった。社員の賃金カーブは結局平均値での集計。平均以上に稼いでいる人が平均値近くの賃金でも頑張っているから、その賃金水準以下の力の人を終身で雇用できた。

■ 公務員の賃金はどんどん下げていい

 今やその優秀層が転職し始め、我慢しなくなってきている。わかりやすい例がアナウンサーだ。そんな安月給ではやっていられないと、各局のエース級があっさり辞める。フリーになって収入が3倍に増えたという例もある。組織としては稼ぎ頭に辞められては困るので、賃金体系を変えねばならない。導入に緩急の差はあるが、それが産業界でも起きている。賃金制度自体を抜本的に見直さざるをえないのだ。結果として、終身雇用は今のままでは続かない。

 ──公務員についても持論をお持ちですね。

 公務員の賃金は人がいなくなるまで下げるというスタンスで、どんどん下げていい。その際、辞める人が多くて仕事が回らなくなったら、それが賃金としては適正な水準だ。そこで賃金引き下げをストップする。

 国立大学の先生は給与が下がった、研究費がなくなったととかくこぼす。だったら辞めたらいい。私学や海外の大学に本人の実力次第で売り込む。そうならないならまだ賃金を下げる余地があるということだ。
.

──終身雇用を前提とする新卒一括採用はなかなか崩れません。

 終身雇用を前提とするならば、新卒一括採用は非常に合理的なシステムだからだ。その人をほぼ40年間雇用し続けるのだから、自分たちで教育するのがいちばん効率的なので、なるべく若い人を採る。自社で教育をするので、入社選考で大学の成績表は要求しない。ただ、5年や10年で転職することを前提とするならば、企業としては外部機関で教育をしてもらったほうがよくなる。そうなれば、逆に大学教育は充実する。大学がレジャーランドといわれるのは、大学教育が終身雇用の副産物に堕しているからだ。

■ 江戸時代とのアナロジー

 ──雇用改革も一気にはいかないわけですね。

 新卒の優秀層が安定型の大組織を必ずしも目指さなくなったので、企業も変わらざるをえない。3年以内の既卒者は全員新卒扱いにするというのも、その一つ。その3年間にめちゃくちゃ面白い経験をしてきてほしいということだ。秋入学・卒業の導入も新卒一括採用を崩す。

 ──「終身雇用崩し」に不安がることはない? 

 後々には笑い話になるだろう。幕末にも社会の変化に不安がっていた人はいたはず。幕末もまさに押し詰まった段階で、旗本の「株」を買って武士階級に逃げ込もうとした人もいたという。幕府が倒れたらどうなるかという不安からだ。実際には、その後にやってきた社会は、より自由で進歩的な社会であり、開国によって日本は江戸時代とは比較にならないぐらい豊かになった。

 古いものが滅びるときは、新しいものに目を向けたほうがいい。確かに終身雇用はなくなりつつあるが、次にもっと新しくよいものが控えていると考えることだ。

 ──若者への助言としては。

 若者の身の処し方としては、今が低賃金だと嘆くより勉強して転職するのがいい。そうすればいくらでも賃金は上がる。会社は賃金を上げろ、政府は何をやっているのだと文句を言うのは、1980年代までのスタイルだ。社会システムの安定性が失われた90年以降は、それはナンセンスだ。

 実際に賃金の高い会社はいくらでもある。それに自分で努力して跳び移る。個人でできるデフレ対策は、重ねて言うが、勉強して、より賃金の高いポストに転職をすることにつきる。古い社会システムが沈みつつあるときは、それが唯一の方法だ。

 (聞き手・本誌:塚田紀史 撮影:今井康一=週刊東洋経済 2013年1月12日号 )


「イヤならよそへ行けばいい」「いくらでも賃金が上がる」。そんなことができるなら、とっくにしている。ごく一部のアナウンサーの例をあげて、それを労働者全体ができるものと不安定雇用の拡大を合理化している。転職するたびに不安定化し、賃金も下がって行くのが「ふつうの人」であるのが実態だ。終身雇用はすでの崩壊している。公務員の非正規化もどんどん進んでいる。職安の窓口にいるのはほとんど非正規労働者である。

「実際に賃金の高い会社はいくらでもある」ならぜひ紹介して貰いたいものだ。

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ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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