パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

Category: スポンサー広告   Tags: ---

Response: --  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: Shin-Go物語   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

Shin-Go物語 はじめまして二見伸吾です (6)

第一学習社労組の争議を研究

ichigaku001_convert_20160617164036.jpg
(1993年2月7日、広島市中区榎町ACCA近く、天満川沿いの公園にて。ボクはどこでしょう?)

※この写真を撮ってくれた佐々木達夫さんも、真ん中の後ろの方に写っている新江義雄(山ノ木竹志)さんも、今はいない。


労働運動を研究するといっても、具体的には何にも決まっていません。

自分でもいろいろ考えたのですが、芝田先生から「広島には第一学習社という教科書会社があって、そこに出版労連の組合がある。長い労働争議が続いていますが、なかなかいいたたかいをしていて、もう少しで勝てそうだから」と勧められました。

「わかりました。とりあえず連絡先を教えて下さい」というと、「いや、その必要はありません。いま、ここから電話をします」といって先生は研究室の黒電話をとった。

 「これから、二見君という大学院生をいかせます。封筒貼りでも何でもやらせてください。それが私の指導方針です」といって電話を私に渡します。
 「どこかの組合に行って資料をもらって、その資料で書くというのはダメです。いっしょにたたかって、そのなかで論文を書きなさい」
そう芝田先生は私に厳命しました。

指導教官の言われるままにテーマを決めるのはいやでした。しかし、解雇された高瀬均さんや小林和俊さんの話を聞き、わたしの気持ちは変わったのです。

 「この争議を研究テーマにするとともに勝たせたい」

授業の合間を縫って労働組合の事務所へ通う日々が始まります。争議は19年かかって1993年に解決したのですが、わたしが関わったのは91年から。解決に向けて運動が大きく盛り上がっていく時でした。

運動が最高潮に達したのは、1993年2月18日にアステールプラザ大ホールで開かれた「人は誰も人間らしく生きたい 第一学習社闘争勝利をめざす1200人のつどい」です。

研究者としてというよりも、「第一学習社労組を勝たせる会」事務局の一人としてこの運動に参加しました。「つどい」を成功させるために、広島市内を中心に労働組合やさまざまな団体を訪れ、役員会議などに参加して、集会への参加を訴えて歩きました。

「最高裁判決を守らないなんてことがあるのか」

「こんなことは許しちゃおけん」

訴えにいったところはどこでも、応援しようという熱い思いが返ってきます。

人を組織することは心を組織すること。そのためにはできる限り直接会って訴えることが大切だということが分かりました。組合の事務所で打ち合わせをしているとき、さまざまな行事への参加を要請するファックスが次々流れてきました。それを見て「心はファックスで送れない」と誰かが言ったことが強く印象に残っています。

 「人はみな人間らしく生きたい」という呼びかけと丁寧で粘り強い組織化によって、1200人の会場はあふれ、1500人以上がつめかけました。つどいの前半はシンガーソングライター・梅原司平さんのコンサート。後半は合唱構成詞「人はみな人間らしく生きたい」。
合唱構成詞は、第一学習社労働組合の19年にわたるたたかいを組合員自身が語り、地域の仲間が歌い、証言し、それを映像とナレーションでつないでいきます。組合結成とともに始まった、会社による組合攻撃。暴力、懲戒処分、つぎつぎと出される遠隔地への配転命令と解雇。

「職場のガン」「人面獣心」とありったけの悪罵を連ねた社員連名の抗議文がつきつけられる。耐えかねて自殺未遂をはかった女性組合員。組合員のラブストーリー。最高裁判決勝利。それでも高瀬さん、小林さんを職場に戻さない会社。

悩み、苦しみながらも踏みとどまった6人の組合員が、たたかいの歴史をふりかえり、それぞれの思いを語りました。会場の参加者は、舞台とともに、怒り、泣き、笑います。どの顔も優しく、目を真っ赤に腫らしていました。

素晴らしいたたかいの解決過程に立ち会うことができて、よかったです。「勝つ」運動とはこういうものなのか、ということを肌で感じました。

修士論文は、争議解決より早く、92年の夏に提出し、修士課程を修了しました。


スポンサーサイト

Category: Shin-Go物語   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

Shin-Go物語 はじめまして二見伸吾です (5)

大学院不合格 進学塾講師 再び大学院にチャレンジ

歴史学の研究者をめざし、中村政則先生のいる一橋大学の大学院を受験。4年の時はだめでも、一浪すればなんとかなると思いましたが、2年目も「来ていただかなくて結構です」という返事が来ました(笑)。今にして思えば全く勉強に実が入っていなかった。

研究者になりたいという淡いあこがれはあっても、何を研究したいかということが全くはっきりしていなかったのです。先輩研究者からも「大学院での研究生活をするだけのテーマを持っていないのではないか」と厳しい批判を受けました。

2年続けての不合格。もう心はボロボロでした。研究者はあきらめることにして、仕事を探しましたが、どれも今ひとつしっくりきません。結局、アルバイトをしていた進学塾で働くことにしました。 進学塾の仕事は面白かったです。授業が分かれば子どもたちの目が輝き、確かな手応えがありました。大学院受験で傷ついた心も回復。しだいに、「おまえは本当にこのままでいいのか」という内なる声が聞こえてきます。

そんなある日、東京神田の岩波ブックセンターで一冊の本を見つけました。渡辺治さんの『現代日本の支配構造分析』(花伝社)です。日本の労働者が、大していい暮らしをしているわけでもないのに、なぜ世の中を変えるという方向に動かないのか。「企業社会」をキーワードにしながら鋭く分析しています。
KIMG0612_convert_20160616222257.jpg

納得がいく説明でしたが、では「企業社会」にからめとられた労働者に働きかけるような労働運動をつくるためにはどうしたらいいのか。示唆するようなことは書かれていましたが、それはまた別のテーマであり、それを研究したい。第1回目の大学院受験は大正期の農民運動をテーマにしようしていたが、自分が知りたいのは現代、そして労働運動なのだということに気づいたのです。

 さて、どこの大学院が受け入れてくれるかと考えたところ、労働運動について指導できる教官がいる大学院はそう多くはありません。そして、芝田進午先生のいる広島大学を受験することにし、今度はさいわいにも合格。回り道をしましたが1990年春、広島の地にやってきました。


Category: Shin-Go物語   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

Shin-Go物語 はじめまして二見伸吾です (4)

学園民主化をめざして 法政大学(2)

housei001_convert_20160615224131.jpg
(ハタチの頃)

法政大学には、「中核派」という暴力集団が巣くっていました。学生自治会を名のり、ストライキなどと称して授業や試験を破壊する。「革マル派」という対立するセクトと殺し合いもする正真正銘の暴力団。法政大学でも暴力を振るわれた人は数知れず。ある先輩は頭蓋骨が陥没し、障がい者となってしまいました。

先輩たちの果敢な運動によって、わたしたちの頃には直接暴力を振るわれることはなかったのですが、似顔絵入りの指名手配ビラが配られ、授業へ行くことを妨害されました。ビラには「日共=民青 二見を許すな」と書かれていました(写真)。
KIMG0610_convert_20160615224049.jpg

「中核派」は学生自治会を名乗っていましたが自治会としての実態はなく、大学7年生とか8年生、学外者もいたようです。どう見ても学生には見えない。経済学部に行けば「経済学部自治会の○○です」、法学部に行けば「法学部自治会の○○です」という。そういうデタラメをやめさせるために、「学生証を見せよう」というキャンペーンをはりました。

そして、本当の学生自治会をつくるために「クラス代表」を選び、その連絡会づくりに取り組んだのです。そんなことから、わたしはターゲットになり、校門をくぐると「中核派」の数十人に取り囲まれ、授業へ出ることを阻止されたのです。ベルトを掴まれ、無意味な論争をふっかけられる。ベルトを掴まれると動けないんですね。大学へ行っても授業が受けられないことが分かっていても行く。正直しんどかったですが、大学へ行くことが「たたかい」だと思って行きました。

忘れられないことがあります。

その日も校舎の1階で「中核派」につかまってしまいました。学生たちは遠巻きにわたしたちのことを見ています。どのくらいたった頃だったでしょうか。クラスメイトが「二見、こっちに来い」と叫んで手を差しのべてくれたのです。「中核派」はひるみ、ベルトから手が離れました。そして、わたしは彼の方に走り、手をつかんだのです。

もちろん「中核派」は逃がすまいと追いかけてこようとしました。しかし、わたしたちが通ったあと、その隙間はすっと閉じられました。見ず知らずの学生たちが人垣をつくって彼らを通さなかったのです。校門から出て、おいおいと泣きました。怖かったからではありません。学生たちの勇敢な行動に感動したのです。

彼らは一見無関心を装っているけれども、ちゃんと見ている、支えてくれる。「仲間を信じる」ということの意味がすとんと落ちた瞬間でした。

housei002_convert_20160615224319.jpg
(法政大学歴史科学研究会の合宿。ボクはどこでしょう?)


 

Category: Shin-Go物語   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

Shin-Go物語 はじめまして二見伸吾です (3)

研究者をこころざす 法政大学(1)

 「生徒会長は現役合格できず浪人になる」。それが我が校の言い伝えでした。

これを覆してやろう。苦手な英語を克服するため1時間以上かけて横浜の予備校に週1回でしたが通いました。体育祭と文化祭が隔年なのですが、3年の時は体育祭。生徒会長として全力で取り組み、体育祭が終わると、すぐさま受験体制へ。3ヶ月間は猛勉強してなんとか第一志望の法政大学経済学部に入学しました。

法政大学は、久留間鮫造をはじめ宇佐美誠次朗、上杉捨彦、土屋保男、大谷禎之介といった素晴らしいマルクス主義経済学者がいたからです。

 たくさんの本から影響を受けましたが、中村政則先生の『労働者と農民』(小学館)と芝田進午先生の『人間性と人格の理論』(青木書店)、この2冊との出会いはわたしの人生を大きく変えるものでした。二冊とも大学の先輩から読むことを勧められたものです。
KIMG0508-02.jpg

 『労働者と農民』は明治から大正にかけての民衆の歴史です。資本主義と地主制によって苦しめられている労働者と農民がどのようにして、たたかうようになっていくのか。史実に即して具体的に分かりました。「自分もこういう仕事がしたい」。それまで、中学か高校の社会科教師になって生徒会顧問をするというのが夢でした。しかし、このような本が書ける研究者になりたいと考えるようになったのです。

 『人間性と人格の理論』はマルクスの『資本論』を下敷きにしながら、資本主義社会のもとで人間性と人格がいかに歪められるのか、そしてそれを乗り越えて、人間性と人格を高め、社会を変革する道筋をあきらかにした著作です。

イタリアの革命家、グラムシの文献について芝田先生に手紙を書いて質問しました。

しばらくして、ていねいな返事が来たのです。手紙とともに芝田先生が新聞や雑誌に書かれたもののコピーがどっさり同封されていました。そして、広島大学で教えているが、週末は東京にいるので連絡のうえ遊びにいらっしゃいとまで書いてある。名も知らぬ一学生にここまでしてくれるのかと感激しましたね。送られたコピーも繰り返し読みました。

そして、新宿戸山のお宅にも伺い、先生の主宰する「日曜セミナー」や水道橋の労音会館での「社会科学研究セミナー」に顔をだすようになったのです。

KIMG0509_convert_20160612204606.jpg



Category: Shin-Go物語   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

Shin-Go物語 はじめまして二見伸吾です (2)

社会変革への道を 高校時代

1979年、神奈川県立秦野高校に入学。柔道部に入りましたが、先輩に絞め技をかけられ、絞め技恐怖症になって登校拒否気味に。柔道部はやめましたが、毎日学校に行けるようになる頃には、すっかり落ちこぼれになっていました。一学年450人中400番台。

生徒会役員は1年からずっとやっていましたが、中学校の時ほど盛り上がらず、「自分が関われば活性化できる」という自信はもろくも崩れました。このとき「組織や運動が活性化したり衰退するのは何によるのか」という問題意識がめばえ、52歳になった今もずっとそれを探求しています。

高校2年生のとき、民青(日本民主青年同盟)に誘われ、加盟しました。叔父が共産党の議員をしていたことから、その関係でわたしに声がかかったようです。叔父のことは別項で話します。

民青は共産党の導きをうけ、科学的社会主義を学び、民主的な運動に取り組む組織です。この頃はソ連も東欧も「健在」。オリンピックでメダルもたくさん取っていて、先輩方は「社会主義の優位性」について語りました。しかし、社会主義国には、わたしの大好きな自由と民主主義があるとはどうみても思えません。

「日本共産党がめざす自由と民主主義が花開く社会には賛同するが、社会主義や共産主義になるのは嫌だ」と断りました。その後も熱心に誘ってもらい、「民青は独立・民主の日本をめざすが社会主義を目的としない」ということで、入ったのです。独立・民主の日本とは、アメリカいいなりにならず大企業の横暴も許さない、国民が主人公になる社会ということです。

民青では、高校生班(そう「大地」という名前でしたね)をつくり、「高校生夏のゼミナール」に取り組んだりしました。原爆のしくみについて学び、英語の授業ではウイシャル・オーバーカムを教えてもらったり。アニメーション映画「ピカドン」を上映する予定だったんですが、映写機の操作を誤り、フィルムを傷つけてしまい、結局上映できないというアクシデントも。

学習していくと、日本共産党のめざす未来社会は、ソ連や東欧、中国などと全く違うということが分かってきました。

不破哲三さんの『人民的議会主義』や上田耕一郎さんの『現代日本と社会主義への道』などを読んで、自由と民主主義を大切にし、議会を通じて世の中を変えていくこと、その先に社会主義が展望されていることが分かりました。

とても尊敬している人が共産党員だったこともあり、「自分もあの人のようになりたい」と共産党員になることを決意。誰にも誘われていませんでしたが、共産党員になれる18歳の誕生日を待って入党しました。

hadanokoukou001_convert_20160611213705.jpg
(秦野高校 生徒会キャンプin鳩ノ巣 コテージでなにかを熱唱。2年、3年と生徒会長でした。いまだにボクのことをカイチョーと呼ぶ人がいます。トヨタの整備工だった先輩にもらったツナギを着ています)




08 2017 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

アクセスカウンター
本を買うなら
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Archive

RSS

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。