パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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賃労働と資本(8) 体験的・古典の修行

賃金は何によって決まるのか

今回は、第2章75頁からです。

商品の価格は変動するものの、変動する幅の中心にあるのは生産費=コストでした。では、労働力という商品の価格の場合はどうでしょうか。

マルクスは「商品価格を規制しているのと同じ一般的な法則が、当然に、賃金すなわち労働〔力〕の価格をも規制している」(75頁)といいます。

賃金も需給関係によって変動。人手が足りなければ賃金は上昇します。建設業界はいま人手不足で賃金が上がっているようですね。

 「2011年3月の東日本大震災以降、建設会社が被災地だけでなく全国で技能労働者の確保に苦労している。復興需要の増大に伴い、技能労働者の賃金は上昇傾向にあり、その市場は全国的に《「売り手市場》となっている」(2012/11/21日経web版)

そして、変動する幅の中心点は、その生産費であるということも一緒です。

 

「労働〔力〕の価格は生産費によって、つまり、この労働力という商品を生産するのに必要な労働時間によって、決定されるであろう」(75頁)



では、労働力商品を生産するためのコストとは何でしょうか。

「それは、労働者を労働者として維持するために、また労働者を労働者にそだてあげるために、必要な費用である」(同)



第一に労働者本人が生きていくための費用です。衣食住が基本ですね。

第二に、養成費です。修業期間が長い場合はそれがプラスされます。医師、弁護士、公認会計士などの賃金(自営でなく雇用されている場合ですが)が高い理由はここにあります。なるのに大変な仕事は労働力の価格が高いということです。

第三に、「繁殖費」。マルクスはストレートですね(笑)。労働者が一代限りでは、資本は儲け続けることができません。未来の労働者を生み出さないといけない。

「労働力の生産費にも、労働力の種族が繁殖して、消耗した労働者を新しい労働者ととりかえることのできるための繁殖費を加算」します。家族の生活費です。学費も入りますね。

このように賃金を決めるベースになるのは、圧倒的多数の人にとって本人と家族の生活費であり、一部の人によっては養成費が加わります。

 「この生存および繁殖費の価格が、賃金を形成する。こうして決められた賃金は、賃金の最低限とよばれる」(77頁)



あくまで労働者全体として

次の指摘がとても重要です。 

「この賃金の最低限も、一般に生産費による商品価格の決定と同じように、個々人についてではなく、〔労働者という〕種族についてあてはまることである」



賃金が労働力の価格として生活費を賄うものだというのは、労働者一人ひとりに当てはまるのではない、と言っているのです。 マルクスは続けます。

「個々の労働者は、幾百万人もの労働者は、生きて繁殖してゆけるだけのものをもらってはいない。しかし、労働者階級全体の賃金は、その変動の範囲内で平均化されて、この最低限におちつく」(同)



賃金が生活費として十分なのは、労働者階級全体として、あくまで平均として、そうだといえるのであって、かなりの部分が不十分なのです。今もそうですね。1990年代後半から非正規雇用が増え、不十分な層が広がっています。

労働力が萎縮する

 『資本論』では次のように述べられています。

 「労働力の価値の最後の限界または最低限界をなすものは、日々その供給を受けなければ労働力の担い手である人間がその生活過程を更新しえないようなある商品総量の価値、すなわち、肉体的に必要不可欠な生活諸手段の価値である。もし、労働力の価格がこの最低限にまで下がるならば、それは労働力の価値以下への低下である。というのは、その場合には労働力は、ただ萎縮した形態でしか維持され発揮されえないからである」(新日本新書版②295頁)



日本では急速に「価値以下への低下」が進行し、労働力は萎縮しています。そのことを示すのが子どもの貧困です。貧困は、不十分な衣食住、適切なケアの欠如(虐待・ネグレクト)、文化的資源の不足、低学力・低学歴、低い自己評価、不安感・不信感、孤立・排除などを子どもにもたらします(『子どもの貧困白書』2009年、明石書店)。これが「萎縮する」ということですね。
 
資本とはなにか

 「3」(78頁)にいきましょう。

「資本は、新しい原料、新しい労働用具、新しい生活資料を生産されるたためにつかわれる、あらゆる種類の原料、労働用具、生活資料からなりたっている。資本のこれらの構成部分はみな、労働の創造物、労働の生産物であり、蓄積された労働である。新しい生産のための手段として役立つ蓄積された労働が資本である」(78頁)



資本とは蓄積された労働である。富は労働によってつくりだされるという労働価値説の立場です。

しかし、こういう説明では不十分だとマルクスは言います。

「黒人奴隷とはなにか? 黒色人種の人間である。右の説明はこういう説明とおっつかっつである」(同)



「おっつかっつ」とは両者が変わりないということ。「どっこいどっこい」ですね。

「黒人は黒人である。一定の諸関係のもとではじめて、彼は奴隷となる」(同)



「蓄積された労働」が、どういう諸関係のもとで資本となるのかを明らかにしなければならない。その答えはちょっと飛んで、82~3頁にあります。

「直接の生きた労働力との交換をつうじて、自立的な社会的な権力として、すなわち社会の一部の成員の権力として、みずからを維持し、ふやすことによってである。労働能力のほかになにももたない一階級が存在していることが、資本の必要な一前提である。
蓄積された、過去の、対象化された労働が直接の生きた労働を支配することによってはじめて、蓄積された労働が資本となるのである」



労働によってつくり出された富が蓄積されるだけでは資本ではありません。「蓄積された労働」が「生きた労働力」と交換され、生きた労働を支配することが必要なのです。

 『資本論』では「蓄積された労働」を「死んだ労働」とも呼んでいます。

「資本とは、生きた労働を吸収することによってのみ吸血鬼のように活気づき、しかもそれをより多く吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働である」(新日本新書版②395頁/原書S.247)



これは、まさにいまの日本ですね。私たちは、私たちがつくりだした富=死んだ労働によって支配され、生き血を吸われているのです。資本は空前の富を手にして凱歌をあげ、労働者は疲弊してゾンビのようになっています。
 
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賃労働と資本(7) 体験的・古典の修行

商品の価格は何によって決まるのか

今回は、第2章66頁からです。

商品の価格は3つの競争によって変動します。一つは売り手どうしの競争、二つは買い手どうしの競争、三つめは売り手と買い手の競争です。

需給曲線

売り手どうしの競争は家電量販店が分かりやすいですよね。

「A店では1万円だった」といえば「じゃあ9500円でどうでしょう」となる。商品が少ない場合は買い手どおしの競争が激しくなり価格は上昇します。この二つの競争によって売り手と買い手のせめぎ合いが起きます。

このことを表したのが上の需要・供給曲線です。

 ①売りたい人・商品(供給)が多ければ価格は下がる。
 ②売りたい人・商品(供給)が少なければ価格は上がる。
 ③欲しいと思う(需要)人が少なければ価格は下がる。
 ④欲しいと思う(需要)人が多ければ価格は上がる。

いまはちょっと事情が違う

しかし、大企業が支配する今日ではこの需給と価格の関係はそのまま通用するわけではありません。大企業と下請け企業の関係を考えてみましょう。

下請け企業が適正な単価を手にすることはまずありません。いつも親企業は「いやならよそへ頼む」と競争原理を振りかざして不当に買い叩きます。中小企業の競争相手はたくさんいます。しかし、大企業は数が少なく競争を制限しています。自動車を考えてみてください。自動車メーカーは10社ほどしかありませんトヨタ、ホンダ日産、マツダ、スバル、スズキ……。

「トヨタさん、うちの価格が気に入らないなら、これからはマツダさんに売るから」ということにはならない。

独占価格といって数社で横並びの価格設定をすることもあります。ビールは最近、値段が違ってきていますが、かつてはずっと横並びで、キリンが値上げするとよそも上げるということをやってきました。需給関係以外の力が作用しているのです。

ゴルディオンの結び目

さて、横道にそれました。『賃労働と資本』に戻りましょう。

「価格が需要・供給の関係できまるとすれば、需要・供給の関係はなにによってきまるのか?だれでもよい、そこらのブルジョアにきいてみよう。彼は、たちどころに、アレクサンドロス大王のうまれかわりでもあるかのように、この形而上学的な難問を九九の表を使って一刀両断に解決するであろう」(69頁)



何のことかさっぱり分かりませんね。ビキナーズ版の脚注に注目。解説があります。注とは若干違う話を見つけましたのでここではそれを紹介しましょう。

アレキサンドロスはギリシャ語で英語読みをするとアレキサンダー大王。

紀元前334年、アレクサンダー大王は、世界帝国を築き上げるため、東へと遠征を始めた。そして、その途中、ゴルディオンに立ち寄ります。ゴルディオン王の神殿があり、そこには荷車が納められていました。荷車は杭に固く結び付けられており、これはゴルディオン王自らが結び、「この結び目を解くことができた者が、全アジアを治める王となろう」と予言します。

多くの勇者が、この「ゴルディオンの結び目」にチャレンジしますが、誰も解くことができません。そこへ、アレクサンダー大王はやって来て解こうとしますがやはり無理。そこで大王はどうしたのか。刀ですぱっと切っちゃったんですね。(伝説ですから出典によって話は少しずつ違います)。

この故事から「ゴルディオンの結び目」(Gordian Knot )といえば難問を意味し、 「ゴルディオンの結び目を切る」(To Cut the Gordian knot.)は、難問をあっと驚くようなやり方で解くということ。ですから、マルクスが言いたかったのは、難問をいとも簡単な方法で解くということ。この箇所の「形而上学的」というのは、哲学的と同じです。あまりこだわる必要がありません。

Alexander_cuts_the_Gordian_Knot.jpg
【 「ゴルディオンの結び目を断ち切るアレクサンダー」 作:Jean-Simon Berthélemy (1743–1811)】

ブルジョアの答えは生産費

あれ、また話がそれてしまいましたね。需要と供給の関係を決定するのは何か?ブルジョアたちの答えは、生産費=コストです。生産費を上回れば儲かり、下回れば損をする。いとも簡単でしょう。

ある商品の価格が度外れにあがると、どうなるか。

「大量の資本がこの繁昌している産業部門にながれこんでくるであろう。そして、好況産業の分野への資本のこうした移動は、その産業の生産物の価格が過剰生産のために生産費以下に下落するまで、つづくであろう」(71頁)



上がると下がるんですね。逆に生産費以下になると、撤退するところが増えて、供給が減り、需給のバランスがとれて生産費の水準まで戻ります。しかし、あくまで「時代おくれになって、したがってほろびるほかないような場合」を除いての話ですが。

「資本はたえずある産業の分野から他の産業の分野へながれだし、ながれこむ。価格が高いと、過度の流入がおこり、価格が低いと、過度の流出がおこる」(72頁)。



儲かりそうな分野へは新規参入が起こり、儲からなければ潰れる、撤退するということです。

「需要と供給の変動は、商品の価格をたえずくりかえして生産費にひきもどす。なるほど、商品の現実の価格はつねにその生産費を上まわるか下まわるかであるが、上昇と下落は相殺されるので、一定期間の産業の干満を通算すれば、商品は、その生産費に応じてたがいに交換される。だから、価格はその生産費によって決定される」(73頁)。



価格は生産費を基礎としつつ変動する

スミスやリカードは、商品の価格は生産費によって決定されるということだけを法則としてとらえ、生産費の上下を無軌道に動くことを重視しませんでした。マルサスは反対に、「変動を法則とみなし、生産費による決定を偶然のもの」とみなしました(同)。

マルクスは両者を重視すべきだと次のように言います。

 「このうえなくおそろしい荒廃をともなっており、地震のようにブルジョア社会をその根底からゆりうごかすほかならぬこの変動--を通じてのみ、価格は生産費によって決定されるのである。こういう無秩序の総運動が、それの秩序なのである」(73-4頁)。



そして、「価格が生産費によって決定されるということは、価格がある商品を生産するのに必要な労働時間によって決定されるということにひとしい」といいます。それは生産費を形づくっているのは、過去と現在の労働時間、時間を尺度とする労働のかたまりにほかならないからです。商品一般についての考察はここまで。

次回は、特殊な商品である労働の価格について検討します。

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賃労働と資本(6) 体験的古典の修行

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賃金は労働力の価格

問題を解く鍵は、「労働力」という新しい概念を見いだすことにありました。

「経済学者たちが『労働』の生産費だと考えたものは、労働の生産費ではなく、生きた労働者そのものの生産費であった」(45ページ)



労働者が資本家に日々売り続けているものは「労働」ではない。「いや、自分は毎日会社で働いて賃金を受け取っているんだ」というかもしれません。しかし、労働を売っているようにみえて、実は労働は売ることができない。なぜか?労働者は、「労働」という商品を持っていないからです。自分の物でないものを売ることはできない。

労働者は企業に雇われ職場があってこそ、労働することができます。そのことをエンゲルスは「労働者の労働が実際にはじまるときにはこの労働はもう労働者のものでなくなっている」(46ページ)と言っているのです。じゃあ、労働者が持っていて、日々売り渡しているものは何か?

それは働くことのできる能力、ちからなんです。エンゲルスは「将来の労働」という言い方をしています。「将来の労働」を時間ぎめ、一定の作業をする目的で資本家に貸すのです。 労働というのは労働力を発揮し、消費することなのです。

賃金は労働の価値ではなく、労働力の価値であるという点に気づけば問題は簡単に整理されます。労働者は労働力を時間ぎめで売り(ここでは12時間)売り、その対価として3マルクを受け取る。労働者は労働することによって自らが手にする価値(3マルク)以上の価値をつくりだす。労働力商品とは「適当に取り扱えば(「いいかげんに」という意味ではありませんよ。「適切に」の方がいいですね)それ自身がもっている価値より大きな価値」を生むのです。 

 

1日の労働が生む価値-労働力の日価値=剰余価値



ここでは「剰余価値」という言葉は出てきていませんが、マルクスは資本論で、労働(時間)のうち必要労働(時間)を超えて行われる労働(時間)のことを剰余労働(時間)と呼んでいます。必要労働(時間)とは、労働者の賃金相当部分(ここでは6時間=3マルク)。

剰余労働から生み出されるのが剰余価値で、これが資本家の儲けの源泉です。



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賃労働と資本(5) 体験的・古典の修行

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二つの異なる価値

エンゲルスは、これらの生活資料の貨幣価格、すなわち生活費を1日3マルクと仮定します。
 ※「仮定する」とあるように、数字はあくまで仮定の話で、推理のために置かれているに過ぎません。マルクという単位もどうでもいい。以下、いろいろ仮定の数字がでてきますが数字や単位にこだわらず、理屈の展開(推理)に注目し、手品の種明かしをお楽しみください。

 労働者は1日働いてこの3マルクを賃金として受け取ります。

 資本家はこの賃金の支払いと引替えに労働者を自分の指揮命令の下12時間、働かせ ます。
 
 機械工がある機械の一部品を一日ひとつ作ると仮定する。

 そのもとで、資本家はつぎのように計算します。
                      完成品
  ・原料       20マルク → そのまま商品の価値に移行
  ・旋盤など機械磨損分 1マルク → そのまま商品の価値に移行     
  ・賃金        3マルク         
   ・儲け        3マルク         
              合計27マルク
 

 ※原料はそのまますべてが商品の価値に移行しますが、機械はみずからの価値を少しずつ商品の中に移行させます。仮にある機械の寿命が10年で、年間300日稼働するとすれば1日あたり3000分の一だけその機械の価値が移転することになります。機械は少しずつ価値を減らしていく。そのことを帳簿上明らかにするのが「減価償却」なのです。

労働者の賃金3マルクと資本家の儲けの3マルク、合計6マルクははどこから出るのか?「わが経済学者たち自身の仮定によれば、わが労働者が原料につけくわえた労働からしか生じることができない」(43ページ)

「わが経済学者たち」とは、古典経済学者のことですね。彼らは労働価値説、労働が価値の源泉であるという立場です。原料と磨損分の価値は増えることも減ることもなくそのまま商品に移行します。ですから、労働者の賃金も資本家の儲けも「労働からしか生じることができない」わけです。

したがって、労働者の12時間の労働が6マルクの価値を生み出し、「労働の価値」は6マルクだということになります。めでたし、めでたし。
 
そこへ、労働者が待ったをかけます。労働の価値が6マルクなのになぜ自分たちは3マルクしか受け取っていないのか。
 
「労働の価値は労働の価値によってできている」という堂々めぐりから抜け出たと思ったら、今度はとんでもない矛盾にはまりこんでしまいました。

「12時間の労働の価値は6マルクなのか3マルクなのか。それが問題だ」とハムレットのように思い悩むのです。

しかし、この問題は「労働の売買」や「労働の価値」を論じているあいだは解くことができません。

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賃労働と資本(4) 体験的・古典の修行

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古典経済学の到達点とアポリア(難点)

アダムスミスやリカードといった古典経済学は労働価値説、すなわち商品の価値はそれにどれだけの労働の量が含まれているのかによって決まるという見解にたどり着きました。基本的に正しいのですが、労働という商品について考えてみるとおかしなことになります。
 
 問) 労働という商品の価値にはどれだけの労働が含まれているのか?

 答) 1時間の労働の価値は1時間の労働に等しい

これは「イヌはイヌである」「川は川である」と言っているのと同じで何の説明にもなりません。商品の価値は労働の量で決まる。しかし、労働の価値は説明がつかない、という事態になってしまいました。だから「髪一筋でも目標に近づいたことにならない」「堂々めぐり」だとエンゲルスは言っているのです。

古典経済学は、「商品の価値は、その商品の生産に必要な労働によって決まる」ということを「ある商品の価値はその生産費に等しい」といういうふうに言い換えてみました。そして、「労働の生産費」というものは確かめることができないので、そのかわりに、労働を提供する「労働者の生産費」について調べることにしたのです。

「労働者の生産費」とはざっくりと言ってしまえば「生活費」です。国や時代、家族構成などによって違いますが、いまの日本で夫婦+子ども二人で平均は500万円~600万円ぐらいではないでしょうか。2013年の総務省家計調査によると、勤労者世帯(平均世帯人員2.76人,世帯主の平均年齢46.2歳)の実収入は,1世帯当たり1か月平均468,570円で可処分所得が380,966円、税金と社会保険料が87,604円となっています。年間で約560万円ですね。

「労働者の生産費は、彼に労働する能力をあたえ、彼の労働能力をたもつために、そして老年や病気や死のために彼が去った場合に新しい労働者でこれを補充するために、つまり、労働者階級を必要な人数だけ繁殖させるために、平均的に必要とされる生活資料の総和--からなっている」(41ページ)


ですから、本人が生きていくための費用だけではなく、労働者になるための教育・訓練費と、後継者をつくるべく家族をつくり維持していくための費用が賃金には含まれているのです。

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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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