パンとともにバラを

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「新しい福祉国家構想」について

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 「新福祉国家論についてのメモ」という出所不明の文書が、配布・回覧をされているようある。

 全労連は、今大会で「新福祉国家構想」についての取り組みを止めるそうで、この「メモ」との因果関係は不明だが、批判する人たちの一定の共通理解になっているかもしれない。

 私は全労連の組合員であり、この問題について発言する資格と義務がある。それゆえ、私は「新しい福祉国家構想」を擁護する立場から「メモ」の批判を試みたいと思う。

(1)第一に、情勢論として批判されているのが渡辺治ほか編著『新自由主義か新福祉国家か』(旬報社2009年)である。これは、民主党政権ができた直後に書かれたものであり、民主党政権が反構造改革を掲げて政権をとったという経緯に即したものである。

 もちろん、その後の民主党は、構造改革路線に復帰し、構造改革を積極的に推進することを使命とするように「変質」(本質が現象した)したことはいうまでもない。

 そのことは、2011年3月に渡辺治氏が執筆した「民主党政権論」(『賃金と社会保障』1533号)や「メモ」が批判の俎上ににあげている「3.11後の情勢と新たな福祉国家」月刊全労連11年12月号)、なにより『新たな福祉国家を展望する』そのものに書かれている。

 「メモ」が「『基本法』の骨格がまとめられた後、東日本大震災によって情勢が大きく変化」したと述べているのはそのとおりである。したがって、「民主党の『手足』議員が『頭部』=政権に圧力をくわえて政策の転換を促すための道具」というのは、今日の情勢のもとでは通用しないのは当然である。

 なぜ、渡辺氏の新しい情勢分析ではなく、古いものを使ったのかが理解しかねる。渡辺氏の議論が誤ったものだと読者をミスリードするためといったら言い過ぎであろうか。

(2)第二に、大衆運動レベルでの政策の探求が、「権力をどのような政治勢力が握るのか」ということを前提としないのは、当然のことだと私は考える。

 国民は、運動と実践のなかで、国家の階級的性格を理解するものである。『新福祉国家論』に国家の階級的性格が明示していないというのは、ないものねだりであり、大衆運動に政党の文章と同じ記述がなければダメだというセクト主義にすぎない。

(3)第三に、福祉「主戦場」論という断定も同意できない。

 「メモ」のいう「(渡辺治氏が)構造改革に反撃する『主戦場を社会保障の分野に設定する」というのは、大きな読み落としにすぎない。

 『新たな福祉国家を展望する』(旬報社)には、「実現すべき社会保障原則」(雇用・教育などにおける原則をふくめて)とある(96ページ)。

 具体的には見だしをひろっただけでも、

 適職、妥当な処遇で働く権利の保障(労働権の保障)、
  ①雇用基準・労働基準の再建と労使対等原則の尊重」、
  ②十分な失業時保障の実現、
  ③積極的労働市場政策と企業横断的労働市場の整備、
  ④総労働力プールの維持・改善の必要と雇用保険における事業者負担の拡大、

 とあり、勤労権、人間らしく働き、団結する権利などをうたった世界人権宣言の第23条(※)まで引用されている。

※世界人権宣言第23条
1  すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を    受ける権利を有する。
2  すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有す      る。
3  勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報    酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。
4  すべて人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに参加する権利を有する。

 「メモ」がいうように、「労働組合に団結した労働者の闘争」を重視すべきでであるが、渡辺氏のどこが「労働者の闘争」軽視なのだろうか? また、『新たな福祉国家を展望する』の姉妹編ともいうべき『ディーセント・ワークと新福祉国家構想』(雇用のあり方研究会編、旬報社)が出版されており、渡辺氏も研究会メンバーの一人である。労働者の闘争軽視、福祉「主戦場」ならこのような本をつくることは全く意味がない。

(4)渡辺治氏の情勢論と日本共産党四中総を対立的に捉えるという「結論」も理解できない。

 政党のつくる文章と研究者による提起のあり方が異なるのは当然ではないであろうか。

 「党の方針ではなく大衆運動に持ち込むための工夫の産物として新福祉国家論と『対抗構想』を容認すべきではありません」(原文のまま)。

 「メモ」は日本共産党の方針を大衆運動に「持ち込む」べきだと主張するのだろうか?

 その直後につづく「その悪影響は広く及んでいる」という「悪影響」とはいったい何を意味するのか?
 理解不能である。

(5)悪罵ではなく、真の批判を。

 全体として、「貧弱な思いつきにすぎない」「粗雑な評価がすべて」「一面的で日和見的」「むなしい願望」といったレッテル張り、悪罵が目立ち、渡辺福祉国家論は誤っている、(日本共産)党の見解と違うという偏見から、渡辺氏の見解をゆがめて批判する内容となっている。
 
 批判とは、論敵の主張を虚心に、正確によみとってこそなしうるものである。残念ながらこの「メモ」はそういうものになっておらず、とても「批判」としての水準をもたないものであるというのが私の結論である。

             (2012年2月初稿、9月加筆・訂正)
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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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