パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

Category: スポンサー広告   Tags: ---

Response: --  

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: 戦争と平和   Tags: 青山繁晴  自民党  

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

青山繁晴 馬脚をあらわす。

2010年、青山繁晴氏(参議院の自民党候補)について「いろはにこんぺいとう」という冊子に書いたことを思い出しました。

images.jpg

あの頃、彼は自分のことを「ひも付きじゃない」「全くの民間人」「一民間人だが、利益のためにではなく、公共の目的の為に来ている」と、さかんに言い訳をしました。しかし、やっぱりねえという感じ。

「本質は現象する」では高尚すぎますかね。馬脚をあらわすでいいか。

*************************

国民を戦争へかりたてる

(国民保護法の) 第三の、そしておそらくもっとも重要なねらいは、この法律を使って国民を戦争へとかりたてることです。

(第一は国民を戦争に動員する、第二は地方自治体を戦争推進に変える)

いま紹介した、鳥取県の国民保護フォーラムもそうですが、いま全国で同じような集会が開かれています。

国民保護法第43条はつぎのように、国民の理解を深め、啓発することを規定しているのです。

第43条 政府は、武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護するために実施する措置の重要性について国民の理解を深めるため、国民に対する啓発に努めなければならない。



 「啓発」の名で危機をあおりたて、「国民の保護」を突破口にして国民を戦争へとかりたててゆく。

 ここに、最大のねらいがあるのです。
「指針」には次のように述べられています。

国は、地方公共団体の協力を得つつ、パンフレット等防災に関する啓発の手段等も活用しながら、国民保護措置の重要性について平素から教育や学習の場も含め様々な機会を通じて広く啓発に努める。 (7ページ)



広島県の「国民保護計画」の「研修」の項目には「外部有識者等による研修」という記述があります。

職員等の研修に当たっては、国が作成するビデオ教材やe-ラーニングを活用するととともに、国の職員、危機管理に関する知見を有する自衛隊、警察、消防等の職員、学識経験者、テロ動向等危機管理の研究者等を講師に招くなど外部の人材についても積極的に活用する。



「職員等」ですから、職員限定ではない。「消防団員及び自主防災組織リーダー」についても「国民保護措置に関する研修等を行う」としています。

鳥取県のフォーラムでは、青山繁晴という人が講演しています(彼はこの種のフォーラム・講演会で全国を飛び回っているようです。
 

僕らの地域や家族を守ろうと思ったならば 「私達の国は聖徳太子が現れてから1300年間、世界で最も国民を守ってきた国なのに、他の国からテロリストや敵と呼ばれるような人が来たとき、何をするか全く考えてこなかった世界の中でも例外の国。


日本国憲法は9条には第3項があり、そこに私達が新しく何をするかが、本来ならば書いてなければいけない。

書いてはないがじっと見ていると、あるものが見えてくる。私達の生命も安全も、アメリカに守ってもらうから自分でやらなくて良い。

今まではアメリカに守ってもらってきたから、自分達で考えなかった。しかし、天然痘ウイルスに対してアメリカは何もできない。テロというものについて、爆弾だろうが何だろうがアメリカ軍はできない。イラク戦争を見たら分かりますね。

アメリカ軍は、テロリストについて何もできない。軍服を着ていない、どこの誰だか分からない、対処のしようがないから。アメリカに守ってもらった時代は、良くも悪くも、もうとっくに終わって、自ら守るしかない時代が来ているので、初めて国民保護法を作った時期は、正しい時期だと思う。



もう支離滅裂。「自分たちの身は自分たちで守れ」と説教し、危機を煽りたてているのです。

「世界で最も国民を守ってきた国」とは、何を根拠に言うのか。

広島・長崎そして沖縄の被害、全国の空襲に対してなすすべもなかったのが真実ではないでしょうか。

2004年5月に行われた岐阜県でのフォーラムでは次のように言っています。

憲法の前文は本当のことを書いていない。

憲法の前文に、もし本当のことを書くとしたら、諸国民はそれぞれ自分こそが正しい、信義であると思っている世界である、その世界であってそれぞれの正義、信義がぶつからずに、ぶつかっても平和を維持するのにはどうしたらいいか書いてなければ、平和憲法とは言えないはずである。

「外交努力によって平和を守る」と言っても、59年間自分の国の考え方を主張せず、嫌われないように、攻め込まれないようにしてきたという現実があるだけであり、それを続けてもテロがないとは言えない。



鳥取県のフォーラムの冒頭で青山氏は「ひも付きじゃない」「全くの民間人」「一民間人だが、利益のためにではなく、公共の目的の為に来ている」と、さかんに言い訳をしていますが、政府がいえないことを代弁するのが、どうやら彼の役割のようです。

スポンサーサイト

Category: 戦争と平和   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

戦争法を廃止し、日本国憲法とともに

9条の会・府中 4月2日 天神川駅北口での演説

天神川駅をご利用の皆さん 

私たちは、府中町九条の会です。今日、この場をお借りして、戦争法の廃止を求める2000万人統一署名を集めています。ぜひ足を止め、署名にご協力下さい。

12932829_10209174351497377_5076373343333437444_n.jpg

今日は朝ドラ「あさが来た」の最終回でした。あさは若い人たちを前に「みんなが幸せになるための武器は、銃でも大砲でも悪口でもない。人の気持ちをおもんばかることのできる優秀な頭脳と、柔らかい心、それさえあったらそれで十分」だと言いました。本当にその通りだと思います。しかし、みなさん。安倍政権の進んでいる方向は、まったく反対、アベコベではないでしょうか。


3月29日、安全保障関連法という名の戦争法が施行しました。テレビや新聞では「自衛隊に新たな任務が与えられる」と報道されていますが、それはどんな任務でしょうか。一言でいえば、アメリカと一緒に戦争するという任務、これを難しい言葉で集団的自衛権を行使するといいます。

安倍首相は、「戦争法案などといった無責任なレッテル貼りは全くの誤り」だと息巻いています。しかし、この戦争法がスタートして自衛隊員が戦争にいく危険性は確実に高まっています。

この春、防衛大学校から419人が卒業しましたが、昨年の2倍、47人が任官拒否、自衛隊に入りませんでした。安倍さんは戦争する危険はなくなるといっているけれども、現場に近いところではそう思っていない、ということです。日本を守るためではなく、他の国にいって他の国の戦争に協力するのはイヤということではないでしょうか。

ご通行中のみなさん

昨日、4月1日はエイプリールフールでしたね。「核兵器を持つことは憲法違反でない」というニュースが流れてきてウソかと思ったら、そうではありません。まさに「びっくりぽん」です。

「安倍内閣が、憲法9条は核兵器を持つことも使うことも禁じているわけではない」という答弁書を閣議決定したというのです。

 憲法9条にはどう書いてあるのか。

まず、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に望んでいると述べ、戦争と、武力を使ったり、武力で脅したりすることはぜったいにしない。第2項で、そのために、陸海空軍その他の戦力--ようするに武器は持たないし、国の交戦権--戦争する権利もないと書いています。

核兵器は武器じゃないんでしょうか。憲法9条をどう読んだら、閣議決定のような説明ができるんでしょうか。不思議でなりません。

ご通行中のみなさん

怪獣やショッカーが襲ってきたときにウルトラマンや仮面ライダーが助けてくれるように、よその国が攻めてきたらアメリカ軍が助けてくれると思っている人もいるでしょう。

しかし、1945年に戦争が終わり70年が経ちましたが、日本に攻めてきた国があったでしょうか。ありませんよね。

アメリカは、戦後ずっと日本に居座り続けて、いまや年間5000億円もアメリカに日本は駐留経費負担といってお金を払っていて、「思いやり予算」といいます。世界でもっとも長いつり橋、神戸市と淡路島を結ぶ明石海峡大橋の建設費が5000億円。毎年これが造れるぐらいのお金を米軍に支払っているんですね。

いま、「保育園落ちた、日本死ね」というブログがきっかけになって、保育園に入れない子どもがたくさんいて、保育士さんたちの給料もすごく安いことが問題になっています。予算がない、予算がないというけれど、アメリカ軍には大盤振る舞いです。

この「思いやり予算」で作っている米軍将校住宅は245㎡。被災者用仮設住宅の5~8倍の広さで、フロが2つ、トイレが3つ、居間も広いし、4つのベッドルームがあります。基地内の郵便局、歯医者、ジムの維持費、バーやボウリング場、映画館などの娯楽施設で働く従業員の人件費も気前よく払っています。基地内にあるバーのバーテンダーの蝶ネクタイも日本の税金で買っている。

これだけ至れり尽くせりのことを日本はしているのですが、米軍、兵隊さんはどうか。レイプをはじめ様々な犯罪を基地周辺で犯している。土地を奪い、カネももってゆき、犯罪までする。それが「正義の味方」アメリカ軍の本当の姿であり、日本をまもってなどいないのです。

安倍首相は「もし日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていく」といいます。

しかし、みなさん。本当でしょうか。戦争法が成立し、それがスタートしたわけですが、北朝鮮は恐れをなして、おとなしくなったでしょうか。アメリカと韓国が軍事演習すれば「先制攻撃的な軍事対応を取る」とまで言って反発しています。まったく効果がないじゃないですか。

ご通行中のみなさん

このアメリカ軍と一緒に戦争すると、どうなるでしょうか。間違いなくテロの標的になります。フランスやベルギーでもテロ攻撃をされました。IS、イスラム国への空爆への報復としてテロが行われている。アメリカを筆頭にイギリス、フランス、オーストラリア、ベルギー、デンマーク、オランダ、UAEが中東で空爆を繰り広げている。それへの報復、仕返しがテロなのです。

ですから、日米同盟、集団的自衛権の行使によって、空爆に荷担すれば当然日本もテロの標的になります。イスラム国はすでに「すべての日本人がテロの標的だ」と表明しているくらいです。

このようにテロに対して、強力な軍事力があっても、強力な同盟関係があっても防ぐことはできません。いままで70年も戦争のない平和な国が戦争法によって、テロの標的になる危険性が高まっているのです。

テロ攻撃にあったら、それ反撃だとなれば、戦争になります。テロと武力攻撃の悪循環で、犠牲者が増えるばかりではないでしょうか。

日本は日本国憲法の道をすすめばいいんです。穏やかに話し合って解決する。これが日本国憲法の心です。

ご通行中のみなさん

安全保障関連法、戦争法はこんな大変な法律ですが、この法律をなくそうという大きな運動が盛り上がっています。

学生たちがつくったシールズや、「だれも子どもの殺させない」とママの会が全国に広がっています。私たち「九条の会」も全国で頑張っています。そういうなかで「野党は共闘」という声が広がってきました。

その声に応えて、昨年秋、日本共産党が、野党がまとまってこの法律を廃止しようという提案。そして2月19日5野党の党首会談が開かれ、安倍政権を倒すために力を合わせることを確認しました。

いま、青森、宮城、山形、福井、栃木、新潟、群馬、山梨、長野、「島根・鳥取」、山口、「徳島・高知」、長崎、熊本、宮崎、沖縄。16の1人区で統一候補が決まっています。32ある1人区で統一候補が勝利すれば、自民党は惨敗で、安倍政権は退陣です。今までお話しした戦争へ向かっての危険な動きを止めることができるのです。

みなさん

いまこそ、戦争法反対の声をあげましょう。ぜひ署名にご協力ください。
 

Category: 戦争と平和   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

惨事便乗で戦争のできる国へ

09heng-articleLarge.jpg

●急ピッチで戦争への道

上の漫画は2月8日付ニューヨークタイムズに載ったもの。見出しは「ISIS(イスラム国)は日本が平和主義を投げ出すようにしむけるのか(Could ISIS Push Japan to Depart From Pacifism?)」

安倍首相の乗っている車には「改憲」と書かれています。テロをちらつかせて、改憲の道、戦争への道を日本人に走らせようとしているということです。

2月1日、後藤健二さん殺害の映像が流されると「罪を償わせる」と発言しました。2日は参議院予算委員会で「同盟国が先制攻撃によって反撃を受けたときでも集団的自衛権を行使できる」と答弁。先に攻撃すれば反撃を受けるのは当然です。そこに日本が参戦する。自衛とは名ばかりで、「ともに戦争すること」が「集団的自衛権行使」であることがはからずも明らかになりました。

同日、自衛隊による在外邦人の救出を可能する法整備にも意欲を示しました。しかし、これに対して自衛隊の事実上の機関紙「朝雲」が異議を唱えます。アメリカの精鋭特殊部隊でさえ、「イスラム国」での人質救出に失敗。陸上自衛隊の能力を強化し、現行法を改正すれば人質救出ができるかのように言うのは現実味に欠けた無責任な論議だと批判しました。

●改憲は来年、参議院選挙後?

3日の予算委員会では、国民の生命と財産を守るためには9条の改正が必要と改憲に意欲を示しました。4日には船田・憲法改正推進本部長と会談。来年の参議院選挙後に、最初の憲法改正の発議と国民投票をすることで一致。

10日、非軍事目的であれば他国軍への協力を認める「開発協力大綱」を閣議決定。軍隊への協力・支援はどのようなものであっても軍事支援となり、他国の戦争に荷担することになります。13日、集団的自衛権の行使容認の閣議決定を法制化する与党協議を開始しました。ISISによる湯川さんと後藤さん殺害に便乗して安倍政権は戦争への道をひた走っています。

Category: 戦争と平和   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

悲劇をくり返さないために

広島中央保健生協 憲法を学ぶ大運動推進ニュース 憲法診断 №45

イスラム国をなのるテロ集団ISILが湯川さん、後藤さんを殺害。

悲劇をくり返さないためになにが必要なのかシリーズで考えていきます。

今号はISILによってシリアがどうなってしまったのかを、国連高等難民弁務官事務所「シリア・アラブ共和国から避難する人々の国際保護の必要性について更新Ⅲ」から紹介しました。

次号以降で、有志連合による空爆の問題、この殺害事件を利用して自衛隊の海外派兵や集団的自衛権行使容認、9条改憲にむけて一気に進もうとする安倍政権の危険性について書く予定です。

*************************

●900万を超す難民、死者は19万人

ISIL(アイシル)は活動地域(イラクとシリア)において残酷な行為を繰り広げています。シリアにはISIL以外にもいくつかの反政府武装勢力があり、紛争によって19万人以上もの人が殺害されました(2014年4月時点)。

医療体制が破壊されたため、通常であれば命に別状がない慢性疾患、感染症で亡くなり、新生児は栄養失調で死亡しています。

紛争によって75万人以上が負傷。暴力の目撃、親族との死別、強制移動、貧困、によって多くの人びとが精神的なダメージを受けています。

国内で避難を強いられている人びとは645万人。周辺の国に逃れた難民は320万人。あわせて900万人となり、シリア人口(約2200万人)の4割が住み慣れた家を追われました。近代史上最高です。

●ふつうの暮らしが奪われている

ISILを含む反政府武装集団は、大虐殺、殺人、処刑、拷問、人質拘束、強制失踪、性暴力、などの戦争犯罪を犯しています。医療従事者、宗教者、ジャーナリストさえも攻撃。子どもを誘拐して兵士にしています。

ふつうの暮らしは奪われ、とりわけ女性と子どもは深刻な影響をうけています。砲撃、狙撃、空爆、大虐殺によって殺され、生き残っても拘禁、人質、拷問や暴力(性暴力を含む)の標的にされています。

すでに1万人以上の子どもが殺されました。昨年3月時点で、550万もの子どもが紛争の影響を受け、280万人が就学てきません。児童労働、家庭内暴力、早期結婚・強制結婚、性暴力の危機にさらされています。

このように過激武装集団ISILは、目的のためには手段を選ばず、無差別な殺傷をなんとも思わない。そういう武装集団によって二人の命は奪われたのです。


   →印刷用PDFはこちら

憲法診断45-001

憲法診断45-002

Category: 戦争と平和   Tags: ---

Response: Comment: 0  Trackback: 0  

荒れ野の40年


統一ドイツの初代大統領、リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー氏が31日、死去した。94歳。

彼が1985年5月8日に西ドイツの連邦議会でワイツゼッカー大統領が行った敗戦40周年を記念する演説の全文を掲載

***********************

荒れ野の40年

新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説 (岩波ブックレット)新版 荒れ野の40年 ヴァイツゼッカー大統領ドイツ終戦40周年記念演説 (岩波ブックレット)
(2009/10/07)
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー

商品詳細を見る


5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。

われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべておりす。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。

ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。

虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。

銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。

ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス——これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。

積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。

はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。

死者への悲嘆、
傷つき、障害を負った悲嘆、
非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
空襲の夜の悲嘆、
故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆——こうした悲嘆の山並みです。

今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。

歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪——これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。

この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。

シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。

目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。

良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。

ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。

心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。

問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。

物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか—— このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち(1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。)——われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。

ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。

ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。

しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。

しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。

故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。

何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。

五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること——これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。

これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。

1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった——こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。

ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。

いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。

      
戦後四年たった1949年の本日五月八日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる

五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。

戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。

傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

——第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。

——人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

——独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

——中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。

——東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。

ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。

東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。

人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。

われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

人間は何をしかねないのか——これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

道徳に究極の完成はありえません——いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。

ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。


08 2017 « »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

アクセスカウンター
本を買うなら
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

Archive

RSS

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。