パンとともにバラを

----人間らしく生きるために必要なのは、「パン」に象徴される物質的な豊かさと「バラ」に象徴されるゆとりと文化。------  この生きづらい社会を少しでもよくするためにみんなで考えたい。

 

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日本政府は、被爆国の政府として核兵器全面禁止のために誠実に努力すべき

原水爆禁止国民平和大行進、8月3日、府中原爆慰霊碑前でのあいさつです。

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みなさんお疲れ様でした。

二見伸吾と申します。府中町原水協を代表してあいさついたします。私も安芸区役所からここまで歩きました。明日も平和公園をめざして歩きます。

平和行進は1958年、西本あつしという人が6月20日から8月11日、43日かけて原爆慰霊碑前から東京の日比谷公園まで歩いたの始まりです。

それから58年、そして原爆投下から71年が経ちます。

核兵器をなくせ、使わせるな、再び被爆者をつくるな、の呼びかけに応えていまや国連加盟国の7割を超える国が核兵器の禁止を支持し、禁止条約の交渉開始を求めています。

核兵器を保有するわずか数カ国の政府だけが核兵器を持つこと、使うことにこだわっているのです。

しかし、最大の核保有国のアメリカにも変化がありました。先日、オバマ大統領がアメリカの大統領として初めて広島を訪れました。オバマ政権は核政策を見直し、「核先制不使用」、攻撃されていない段階では核兵器は使わないという宣言を検討しているというニュースが入ってきました。

日本政府がこれにどう反応したのか?

「核の傘」が弱くなるから反対、アメリカに協議を申し入れていると言うんです。どんなときでも核兵器を使えるようにしておいてくれとアメリカに頼む。これが原爆を投下された国の政府がいうことか、耳を疑いました。

日本政府は、このような妨害をやめ、被爆国の政府として核兵器全面禁止のために誠実に努力すべきです。

安倍首相は式典の挨拶で「貴い命が奪われ」と言いますが、1945年の国民いや、臣民の命は、鳥の羽よりも軽いものでした。いまもまた、国民の命は軽んぜられ、再び戦争の惨禍が引きおこされかねない事態に直面しています。

しかし、そういう事態だからこそ平和と立憲主義を守ろうという新しい共同が生まれ広がっています。引き続き、倦まずたゆまずあきらめず、核兵器のなくなる日まで歩き続け、がんばっていきましょう。


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2013年長崎平和宣言を読む(11)

(5)東電福島原発事故の復興と高齢化する被爆者援護の充実。核兵器のない世界へ

第5段落には特段の説明はいらないと思いますが、山口仙二さんについて触れておきたい。山口さんは1930年生まれ。満14歳のときに爆心地1.1キロで被爆しました。山口さんは『115500平方㎡の皮膚』(みずち書房)という自分史を出しています。

 

一人ひとりの失った皮膚を、畳半分の広さだとしよう。長崎での死者は、1945年末までに7万人プラスマイナス1万とされ、負傷者もほぼ同数とおもわれる。すると、熱線に灼き亡ぼされた皮膚の総面積は、畳7万枚分およそ3万5千坪--11万5千500平方メートルに及ぶ。

 私の首はケロイドでくっつき、曲がらなかった。右の耳が溶けおち、水をのんでもこぼれるほど唇もかたむいていた。長崎と広島合わせて十数万坪のケロイドが、人びとを引き歪めた力のつよさはどれくらいになるのか。肉体だけでなく、それぞれの生き方にまで及ぼした歪みの深さは、いったいどうやって測るべきか。私には、見当もつかない。



 1955年、山口さんは長野の原水爆反対集会に被爆者として参加。13カ所3万人が訴えを聞いたと言います。

 私たちは、三千を超える人びとを前に、自分の体験を語ることなど、私たちにとってはじめての経験だった。自分がみじめになるので、できれば誰にも話したくはない。だが、長野のこの集まりは、個人の内側に閉じこめておく記憶のほかに、もっと広く、多くの人びとと共有しなければならない体験があるのだ、ということを私たちに教えてくれた。私をひらいてくれた

 

ここから山口さんの被爆者運動が始まりました。けして順風満帆でなかったその後のあゆみは自分史に譲ります。最後に、山口さんが1982年に国連軍縮特別総会(SSDⅡ)で訴えた演説(一部)を紹介し、「2013年長崎平和宣言を読む」のしめくくりとしたい。「核兵器による死と苦しみは、私たちを最後に」という被爆者の願い・訴えに必ず応えなければ、と思うのです。

 私は1945年8月9日、長崎の爆心地から1.1キロメートルの地点で被爆し、上半身に重い火傷を負い、ごらんのような傷だらけのからだになりました。私の周りには眼球がとび出したり、木片やガラスがつきささった人、首が半分切れた赤ん坊を抱きしめ泣き狂っている若い母親、そして右にも左にも石ころのように死体がころがっていました。一瞬にして、戦闘員、非戦闘員の区別なくすべての人間、すべての生物・全社会、全環境が破壊されました。ヒロシマにつづいてこのような反人道的な絶滅破壊は、かつて人類史上起こったことはありません。その後40日間、私は高熱のため、生死の境をさまよいました。7か月後に退院した私の上半身はケロイドに掩(おお)われ、様ざまな病気に次つぎとおそわれました。思い余った私は幾度か自殺をはかりさえしました。

 広島と長崎では1945年12月末までに21万人が死に、うち90%は民間人でした。かろうじて生き残った被爆者たちに、今日でもなお突発的にガンや白血病などの晩発性障害が襲いかかることが少なくありません。加えて生活苦と精神苦痛はいっそう厳しいものになっており、到底言語に尽くすことができません

      略

私の顔や手をよく見て下さい。よく見て下さい。世界の人びと、そしてこれから生まれてくる世代の子供たちに、私たち被爆者のような核戦争による死と苦しみをたとえひとりたりとも許してはなりません。

 核兵器による死と苦しみは、私たちを最後にするよう、国連が厳粛に誓約してくださるよう望みます。 私ども被爆者は訴えます。生命のある限り私は訴えつづけます。
ノーモア ヒロシマ
ノーモア ナガサキ
ノーモア ウォー
ノーモア ヒバクシャ
ありがとうございました。


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2013年長崎平和宣言を読む(10)

②自治体の非核宣言を行動に移そう

 宣言は、もう一つ「できること」として自治体の非核「宣言を行動にうつす」ことを提案しています。

 「宣言」にもあるように、自治体の90%近く、正確には87.5%(1789自治体中1566自治体)が非核宣言をしています。日本非核宣言自治体協議会のホームページには、
協議会加盟の291自治体の宣言が掲載されています。日本列島の北と南から、北海道羽幌町と沖縄県竹富町の宣言を紹介します。

平和のまち宣言
真の平和を希求することは、人類共通の願いであり私たち町民は、この理想実現のため努力し求め続けていかなければならない。私たち町民は、今日の緊張した国際情勢を認識し、我が国の非核三原則の堅持はもとより、核兵器の廃絶を強く願うものである。ここに羽幌町は、恒久の平和を願い、幸せな町民生活を守ることを決意し「非核平和のまち」を宣言する。1984年12月13日 羽幌町

非核平和のまち宣言
 われわれは恒久の平和を願い、平和憲法において、すべての人類が平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 しかし、いま核兵器の限りない増加と拡散は世界の平和を奪い人類のあらゆるいとなみとしあわせを脅かして止まない。
 まちに子供の笑顔があり、働く者の喜びがあふれるくらしを願い、広場に若者の唄声が流れ、お年寄りのやすらぎのあるくらしを望む立場から、竹富町民はくらしと自由を守り、平和理念の達成を誓う日本国民として世界の人々と手をつなぎ核を保有するすべての国に「ただちに核兵器を廃絶せよ」とつよく訴え、ここに非核平和のまちづくりに邁進することを全世界に宣言する。昭和62年3月24日 竹富町

 まず、役場の担当課を訪ねることから始めたらいいのではないでしょうか。自分の住んでいるまちでどのようなことが取り組まれているのかを知り、非核宣言にふさわし取り組みが広がるためにはどうしたらいいのかを考える。「協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします」と言ってくれています。協議会には全国のさまざまな経験も寄せられていることでしょう。非核宣言を行動にうつす取り組みが全国で広がれば核兵器をなくす大きな力になるに違いありません。


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2013年長崎平和宣言を読む(9)

●戦争体験、被爆体験を語りつぐ 


宣言は、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことの重要性を次のように述べています。

かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

なぜ、修学旅行の地として、広島や長崎、沖縄が選ばれるのでしょうか。その意味は「死者と連帯することにある」と教育学者の竹内常一さんが次のように述べています。

「生きる」ということは、「死者」の願いや恨みを引き受け、死者と連帯して生きるということではないか。広島や長崎や沖縄に修学旅行をおこなうのは、この「死者」たちの願いや恨みを引き受け、「死者」と連帯するためではないのか。それなしには私たちの歴史というものがはじまらないからではないか。(竹内常一『子どもの自分くずし、その後』太郎次郎社)

竹内さんは「『死者』と交流し、『死者』と連帯することのない『生者』とは、生きている『死体』ではないだろうか」といい、私たちが人間らしく生きるためには、「死者との連帯」が不可欠だと提起しています。

 この点について、上原専禄さんの『死者・生者』を参照するように書いてありました。上原さんは、「死者」と「生者」との共存・共生・共闘するという考えは、現実を認識するための方法であるとともに現実を救済する原理でもあるといいます。

 

アウシュビッツで、アルジェリアで、ソンミで虐殺された人たち、その前に日本人が東京で虐殺した朝鮮人、南京で虐殺した中国人、またアメリカ人が東京大空襲で、広島・長崎で虐殺した日本人、それらはことごとく審判者の席についているのではないのか。そのような死者たちとの、幾層にもいりくんだ構造における共闘なしには、執拗で頑強なこの世の政治悪・社会悪の超克(ちょうこく)はたぶん不可能であるだろう。(上原専禄『死者・生者』未来社)


死んだ人の声を聞くことは、実際にはできません。しかし、その手がかりはあります。『原爆の子』の編者・長田(おさだ)新(あらた)氏は「序」で次のように言います。

 

永久に生きてかえることのない人々がその最後の訴えを、この生き残った人たちの口を通じて叫んでいるのではないか。生き残った人たちは、今はもう語ることのできない人々に代わって、またその人々と共に、訴えているのではないか。(『原爆の子』上、岩波文庫)

 生き残った被爆者の証言、手記、遺跡や碑、そして、文化・芸術となったヒロシマ、ナガサキから、私たちは「死者の声」を聴きとる必要がある。虚心に死者の声を探し出そうとすること。そして、私たちがそういう作業を通じてどれだけ多くの死者と連帯できるかが、生者を死者へと追いやった原因を取りのぞき、いまを生きる世界の人びとと連帯できるかどうかを決めるのです。

宣言は、とりわけ若い世代に呼びかけています。

 

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

あなたたちこそが未来、そう未来なのです。

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2013年長崎平和宣言を読む(8)

(4)核兵器のない世界へ 私たち一人ひとりができること

 第四段落は、核兵器のない世界の実現に向けて「私たち一人ひとりにもできること」があるとし、2つのことを提起しています。一つは「戦争体験、被爆体験を語り継ぐこと」であり、もう一つは、自治体の非核宣言を行動に移すことです。

①被爆者の声を聞こう、そして考え、話し合おう

●日本国憲法にこめられた平和の希求
 

冒頭で、「日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています」といい、前文から「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」が引用されています。

 この句は、日本国憲法の原点です。敗戦後、新しい日本をつくるうえでの固い決意、二度と戦争はしない、戦争はもうごめんだという国民の思いが込められています。前文は、この決意を現実のものにするために、新しい考え方を打ちだしました。

 第一は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」という安全保障の考え方。第二は、「平和に生きる権利」、「平和的生存権」です。

第一の点は、「他国に平和を委ねるもので無責任だ」などと批判されていますが、その批判は当たっていないと思います。憲法が信頼を寄せているのは、「諸国家」ではなく、「諸国民」、世界の国の人びとです。彼らもまた第二次世界大戦の惨禍を経験し、戦争はもうごめんだと思っている。平和を愛す彼らの公正と信義(誠実さ)を信頼し、ともに平和をつくっていこうというのが憲法の立場です。

 第二の「平和に生きる権利」は、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と前文にあります。憲法は、この「全世界の国民が、ひとしく」「平和に生きる権利」をもっているという。日本国憲法は「一国平和主義」で、日本が平和であれば、他国のことはどうでもいい、なんて悪口を言う人がいるけど、とんでもありません。むしろ、日本国憲法の精神に基づく努力が足りなかったというべきでしょう。

憲法前文は、全体としても平和な世界を実現するための処方箋、新しい時代の「政治的道徳の法則」(laws)を表明しています。
 
①政府の行為によって再び戦争を起こさないという決意。
②「人民の人民による人民のための政治」という民主主義の原則。
③世界の平和を愛する人びとの公正さと誠実さを信じようとする姿勢。
④独裁政治、奴隷状態、自由への抑圧、不寛容をなくし、平和な世界をつくろうという抱負。
⑤世界中のすべての人に、自由で、豊かに、平和に生きる権利があるという「平和的生存権」の思想。

 自民党の改憲草案はこの前文を全面削除し、第9条二項の戦力不保持、交戦権の否認も削って、国防軍の保持を明記しました。「平和を希求するという日本国民の固い決意」はみごとに消し去られています。




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プロフィール

ふたみ伸吾

Author:ふたみ伸吾
二見伸吾
府中町議会議員(日本共産党)
広島県労働者学習協議会 講師
広島県九条の会ネットワーク 事務局員

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